京都大学艦これ同好会 会員の雑記ブログ

京都大学艦これ同好会は、艦これを通じてオタクとの交流を深める緩いコミュニティです。普段はラーメンを食べています。

ふるさと

ピアノというものがある。簡単にいうと雑音の出る箱である。ピアニストが言うんだから間違いない。
ピアノに限った話ではないけれども楽器というものは素直なもので演奏者の気持ちといったものを勝手に周囲にばらしてしまうものなのだ。
私は近年の音楽教育の感情至上主義に疑問を抱いている。感情を込めて、と言う指導者によって演奏者は音楽それ自身が持つ自然の美しさを損ねてしまうのだ。
コンクールや演奏会を見てみればわかる。いかにも楽しく演奏しています、みんなで一体となっています、少しでも上手く見せよう、とか言った具合だ。そういった演奏はぎこちないもので聴いていてハラハラする。強いられた個性というものを感じるのだ。
演奏はとにかく精密に楽譜通りに感情を込めずにするべきなのだ。
絵に例えてみればわかりやすいかもしれない。
ある風景から感情を得て、その感情を絵で他人に伝えたいとすれば描くべきは感情ではなく風景だろう。感情のままに絵を描けば出来上がるのは幼児の描く頭足人のようなものだ。そのような絵は印象を伝えることは出来ても、自分と同じ感情を相手に引き起こすことは出来ないはずだ。
写実的に徹底的にその風景に寄せる。そうすることによって初めて鑑賞者にその風景を見たのと同じ感情を引き起こすことが出来るのだ。
また、絵である限りは実際の風景と全く同じになることはない。現実と写実の些細な違い、そこに現れるのが個性というものだろう。
音楽も同じで音楽に忠実になって個性が生まれる。
まぁ、こんな堅苦しく書くのもアレなんで最近一番良かった演奏の話でもしましょうか。
それは友人と二人で旅に出て全国を行脚していた時のことで三ヶ月ほどいろんな街を見てまわっていた。パリのコンセルヴァトワール学院でも三ヶ月ほど自分の楽器と離れる。音楽に行き詰まったときは楽器を持たない方が結果的にいい音楽を作れるようになるという話があるらしいけれどもそのときの自分達とは全く関係なくてただ目的を見失って自分探しみたいなことをしたかったのだろうと思う。
旅も終盤に差し掛かっていた。夏の名残が少し漂う季節で長すぎる昼が終わろうとしているときにその街にたどり着いた。トンネルを抜けると列車の窓から漁港と造船所が見える。潮風がもたらした赤錆とオレンジの夕日が街をセピアに染めて陸に上がった漁船たちの船底の鈍い赤色が馴染んでいる。車窓の一瞬の景色だったが目に焼き付いた。しかし、写真に残して置きたかった。船というモノが喫水の下にいつも隠しているその色を臆さずに出だしても自然に受け入れる器量がこの街にはあるように思われた。
駅にたどり着いた。築百年近い木造の駅舎はペンキで薄い緑に塗られていてさっきまで乗っていた旧国鉄車両のベージュ色と同じ色あせ方をしている。この街は約二十万人の人が住んでいる。駅の利用者の数もそんな感じ。そんな中に艶々と黒く新参者の光を出している存在があった。ストリートピアノってやつですね。グランドピアノじゃなくてアップライトの。ピアノはピアノなんでピアニストの血が騒ぐ。友人も、おい弾けよ弾けよ、と煽ってくる。そんなことをやっていると自分達と同じことをやっている者が目に入る。
学生に見える。先輩らしき人が後輩らしき人に弾けよ弾けよと迫っている。後輩の方は嫌です嫌ですぅと情けない声を出している。これは貴重な学生間のパワハラ現場ですねと自分達がさっきまでそうしていたのを忘れて見守る。
だいたい小学校なんかで弾いて弾いてと迫られて弾こうものなら弾く方は緊張してぎこちなくなるし小学生は飽きっぽいし曲を弾き終わる頃にはなんとも言い難い雰囲気になっているはずで世のピアニストの卵はそれが原因となり人前で演奏するのが嫌になるものだ。
それにしても後輩の嫌がり方はすごいな。ソプラノの声がコロコロとコロラトゥーラみたいだ。よくよくみると日本人離れした見た目で人目を気にせず自分達みたいにバカなことをやっているから気がつかなかった。金髪にそれをさらに目立たせるエキセントリックな髪型。これは普通じゃない。
じゃあ一曲だけですよ、一曲だけですからね、と金髪の少女がしぶしぶとピアノに手を伸ばす。その手はアレだ。ピアノを長年弾いていた手だ。指先は平たく、手のひらは手根骨から開くような。しかし、ピアノを弾くだけでは生まれ得ない武骨さもその手にはある。不思議な手だ。
鍵盤にその手が降ろされる。演奏が始まった。すごく上手い。だが、ものすごく嫌そうな弾き方だ。親に強制されてピアノを仕方なくやらされている子供みたいだ。曲は文部省唱歌の「故郷」。イントロが終わり歌詞のある部分に入っていく。
兎追いし彼の山。
誰も歌う人はいない。道行く人は誰も気にしちゃいない。
けれども、オレンジの夕陽が彼女の金髪を照らし銅のように赤く燃えたとき、空気は一瞬止まった。とてつもない郷愁、ノスタルジーが嫌そうな演奏の影から漏れ出てきて漂っている。
通行人が足を止めないのはこの街に住む人だからだろう。遠くから来た異邦人ならばこの演奏に足を止めてしまうだろう。
夢は今も巡りて、忘れ難き故郷。
一番で曲が終わった。いてもたってもいられなくなった。今、猛烈に音楽をしたいという思いが湧き上がってくる。
思わず彼女に声をかけてしまった。
なんなのさ、と彼女の先輩に代わりに言われてしまい睨まれる。勢い余って怪しい人のようなというか怪しい人そのものの動きをしてしまった。急いで名刺を取り出す。これこれこういうものです、と自己紹介をするが相手二人の警戒はますます高まるばかりだ。友人がちょっとやめときなよ、と自分を止めに入る。
そんなこんなしているときに制服を着た男がやってきた。軍服だ。彼女ら二人がバッと姿勢を正す。
粗相はしてないかね、と軍服の男が彼女らに問いかける。いえいえ私達の方が粗相をしてしまいまして、と割り込むと軍服の男は相好を崩し、我々は軍人ですから文句がありましたら幾らでも受け付けますよ、と言い名刺を渡してくれた。ではここで、と彼女らと軍服の男はすぐに去っていってしまった。
話を何も聞けなかったなと後悔し、名刺をみるとadmiralと書いてある。海軍将官じゃないか。友人と二人で、げっ、と声を漏らしてしまった。さっきの女子二人が現在の国防の主戦力である艦娘だったのだ。全く普通の少女ではないかと驚いた。全く普通と言ったがピアノの腕は普通じゃなかったけど。
その日の夜は旅館で色々と話したが友人は彼女の演奏について特に何も思わなかったようだ。私は金髪の彼女にものすごく興味が湧いたので別行動を切り出した。
次の日から駅のピアノの近くに一日中いて時折ピアノを弾いて彼女らを待つことにした。
数日したらまた再び彼女らに会うことができた。同じ時間帯そして先輩と思われる方からなんなのさと強く睨まれる。話をしたい、と言ったら断られた。
しかし、粘り強く何日も何日も待ち続け何度も会うと次第にやましい気持ちから声をかけているのではなく純粋に音楽にしか関心の変な人と見抜かれ警戒もそこそこにしかされなくなりだんだんと交わす言葉の量も増えていった。
最終的に駅の近くのハンバーガー屋で彼女ら二人とお話しをするくらい仲が良くなった。どうやら金髪の彼女は阿武隈というらしい。そして先輩は北上。本名ではないが通名として使っているらしい。なんだかそこらへんのややこしいことはよくわからなかったけど阿武隈さんはもともと軍楽隊志望だったらしい。確かに軍楽隊は音楽業界の中で一番しっかりとした収入が見込める。
軍楽隊への入隊試験と身体検査のときに阿武隈さんは艦娘適性が認められ艦娘になることを強く勧められたらしい。艦娘の適性は数十万人に一人程度しか出ない貴重な才能と聞く。
阿武隈さんは悩んだ結果艦娘になることを決めた。
彼女自身、音楽に未練は残っているみたいだけれども、音楽をすることより音楽ができる平和を守ることを自分にはできると今では自信を持って言っている。
阿武隈さんにとって音楽がふるさとなのだと思う。海へ出ても忘れることができないもので戦い守り抜くものなんだと彼女の演奏がそう言っていた気もする。楽器は勝手に人の気持ちをばらしてしまうからね。
とまぁそんな旅先での経験を経て私は自分の演奏に何かが足されたように思う。
最初にグダグダ自分の意見を書いてみたりしたけれども、やっぱり大事なのは自分の演奏の確固たる支柱となるふるさとが必要なんだと私は思う。勝手に音楽に漏れ出るので雑音となり得るものだけれども一回限りの素晴らしい景色を見せてくれるにはそれが必要に思われる。
そして最後にこの音楽ができる平和を守るものに感謝を個人的に。

 

あとがき

unkyoです
阿武隈かわい〜