「それでは私もこれで。――お世話になりました」
メガネを掛けた生真面目な艦娘が執務室を出ていく。閉まる扉の隙間に、 深々と頭を下げる姿が見えた。
窓から入る夕日に照らされた執務室は寂しく、 それでいて懐かしくも感じる。
「懐かしいな、この感じ」
「今、まったく同じことを考えていたのです」
隣に立つ栗毛の少女――電はそう言って笑う。
「晴れて着任と思って来てみれば、 何も無いわ誰もいないわで頭を抱えたよ」
「電もちょうど留守にしてたのですよね……。何も無かったのは本当にその通りなのです」
今考えれば酷い話である。人類の希望たる艦娘を指揮する鎮守府に、机すら無しで新米が送り込まれたのだ。
しかも、そこにいたのは目の前にいるセーラー服の女の子一人だけ。
「司令官さんは随分若かったのです」
「今でもまだギリギリ若いだろ。電もあの頃から変わってないな」
「これでも電は少しずつ成長しているのです!」
「はいはい」
とは言いつつも、深海棲艦との最後の戦いから1年。電も少し背が伸びたように見える。戦いが終わって艦娘の力が薄れるにつれ、何かが変わっているのだろうか。
「これでこの場所ともお別れなんだな」
「なのです。でも、ここじゃなくても皆とはまたいつでも会えるのです」
戦いが終わって皆それぞれの人生を歩み始めるだけで、別に死ぬわけじゃない。いつでも会おうと思えば会える。
でも今までのように毎日顔を合わせるわけじゃないし、機会が合わなければ二度と会わないこともあるかもしれない。
――だからこそ、鎮守府を出る前のこのタイミングで、精算しておかなきゃならないことがある。
「……なあ、電」
「何ですか?」
「これで良かったのかな?」
言外の意味を込めて問う。
「司令官さんは。 この鎮守府の艦娘に僅かな犠牲しか出しませんでした。 防衛戦では街にもほとんど被害を出さなかったから、街から 感謝状だって貰いました。無事に戦争も終わりました。皆も、 もちろん電も感謝してるのです」
「そうじゃなくて」
それが悪かったとは思わない。艦娘と共に平和を取り戻した。素晴らしいことだと思う。
でも、それを聞きたかったわけじゃない。
「……仕方のないことなのです。戦って、勝って、深海棲艦はみんないなくなって……きっと初めから、そういう風になっていたんだと思います」
戦いに勝って、平和にはなった。
そして、最後の戦いに勝った途端、全ての深海棲艦が消滅した。
「結局最後まで戦ってばかりだった。人間と艦娘と深海棲艦が一緒に笑い合える、そんな未来を見つけようって電に約束したのに。俺は何も出来なかった」
「電こそ何もできなかったのです。ただ戦って、 沈めることしかない現状を、どうすることもできなかった。電がもっと強ければ、助けられた深海棲艦だっていたかもしれないのです」
「電が誰よりも努力していて、一人ででも演習に出ていたのは知ってる。難しい目標のために、どれだけ悩んでいたかだって……!」
「司令官さんがそんな電を執務室でサポートしてくれていたのをよく知っているのです。眠る時間を削ってまで、理解するために深海棲艦のことを調べていてくれたのも」
「っ……」
「それでも、無理だったのです」
何も言えなくなってしまう。
「あの時も、ここでしたね」
「ここで、泣いてた電に、約束してくれたのです」
「そのときに、これも……」
電はそう言って、自身の左手を右手で包み込む。
「電?」
「司令官さん」
「これ、お返しします」
*
あの日の、少し前。
夜戦で艦隊とはぐれてしまった電は、流れ着いた小島で、大破した深海棲艦さんと出会ったのです。
彼女はこう言いました。
『オ前ハ戦ワナイノカ』
『守るためなら戦うのです。貴女は戦うのですか?』
少し間があって、こう返されたのです。
『今ハソンナ気分ジャナイ』
彼女はそう言って、浜辺にごろんと寝そべりました。
『貴女みたいな深海棲艦と出会うのは初めてなのです』
不思議な深海棲艦でした。つい気が抜けてしまった電は、彼女と一緒に寝転んでいました。
それからしばらくお話をしたのです。地上の楽しいことや美味しいもの、海に棲む生き物のこと。
いつの間にか眠ってしまって、起きたら彼女はいなくて、空母艦娘さんの索敵機がちょうど頭の上を飛んで行ったところだったのです。
そしてあの日。
大規模作戦の最中、襲ってきた深海棲艦の中に彼女がいました。彼女はこちらに気付くと、少し驚いたような顔をしていました。
彼女はとても強かったのです。大破してしまった電たちに代わって、援軍に来た戦艦や重巡の艦娘たちが戦いました。そして、応急修理をして戻った電の目の前で、彼女は沈みました。戦いに負けたのに、何故か満足したような顔で沈んでいきました。
電がもっと強ければ、彼女は助かったのでしょうか?電が彼女と戦って、勝って、上手く逃がすことができていたなら?でもその後、もしまた戦場で出会ってしまったら?
考えれば考えるほど自分が無力に思えてきて、泣き出したくなって。
作戦後の報告を終えて、他の皆が出て行ったあとの執務室で司令官さんに声をかけられました。
『で、何があったんだ?』
『初期艦のことぐらい見れば分かるに決まってるだろ』
『皆もう出て行ったし、話してくれよ』
張り詰めていた糸がぷつんと切れるように、思い返すのも恥ずかしいくらいみっともなく泣いてしまったのです。
あったことを全部話しました。不思議な深海棲艦のこと、戦場で出会ったこと。彼女が沈んだこと。
司令官さんは、電が落ち着くまで待ってから、黙々と話を聞いていてくれたのです。
*
――一緒に、深海棲艦とも笑い合える平和な未来を探そう
司令官さんはそう言ってくれて、その誓いの印として、この指輪をくれたのでした。今思えば軍法会議モノの報告なのに、ヘンな司令官さんなのです。
でも約束はもう期限切れです。深海棲艦はいなくなってしまったけれど、平和な世界に戻ったのです。だから、この指輪も――。
手が、うまく指輪を外してくれません。
でも返さないといけないのです。役目を終えた今、これはただの軍の備品なのですから。
「司令官さん」
「これ、お返しします」
「一緒に頑張ろうって約束の印ですから。ぜんぶ終わった今、 これはお返ししなきゃいけないのです」
*
電が外した指輪を差し出してくる。
こうなるのが怖くて、 戦いが終わって、任務が哨戒だけになってからもずっと、この話をすることができなかった。
「司令官さんも、電も、やれることはやったのです。だからきっと」
絞り出すように、言葉が続けられる。
「電がっ!たくさんのことを望みすぎたのです……!」
「っ、電!」
思わず差し出された腕を掴む。
電の手も、声も、震えている。俯いた顔が夕日に照らされて――。
「電」
「なんですか?これも軍の備品だから返さなきゃいけないのです。当然の手続きなのです。早く受け取るのです」
電のこの声はよく知っている。何もかも一人で抱え込んでいる時の声。
――ああ、そうだ。もうこんな顔をさせないって、あの日誓ったのに。
「これを受け取って欲しい」
「え――」
「 約束を果たせなかった俺がこんな真似をする資格は無いってわかっ てる。でも、どうか――」
どうか、一人で背負わないでほしい。
上着のポケットから一年前に買った小さな箱を取り出し、開いて電に差し出す。
「指輪……?」
「まあ、なんだ。電の言う通り、それは軍に返さないといけないものだから。少し前に用意しておいたんだ。渡す機会が無くてさ」
勇気が出なかった、というのが正しいところではある。
戦いっぱなしのまま深海棲艦が姿を消して、約束が守れなかった自分にそんな資格は無い。そんな言い訳をして今日まで渡せなかった。
「司令官さん、これって――」
先ほどとは少し調子の違う鼻声だった。驚いて目を向けると、夕日の中でも電の顔が真っ赤に見える。
「だ、大丈夫か?電」
「な、なのです。それで、これはその……どういう」
「あー……ケッコン指輪の代わり、的な……」
自分の顔色が夕日で見えないことを願いながら、何とも歯切れ悪く答えることしかできない。
「つまり、これからもよろしくっていうこと……だよ?」
「……」
「……」
「……ぷっ、あははっ!司令官さん、顔真っ赤なのです」
「電もだぞ」
「ふわっ!?」
慌てて後ろを向く電。
「その、これからも会ったりしていいのです?」
「ああ、電がいいなら」
「ふふっ……ありがとう」
少し経ってから、こちらにくるりと振り返る。
「司令官さん、指輪、嵌めてほしいのです」
そう言って、外したケッコン指輪をこちらに渡してくる。今度は手が震えていない。
ケッコン指輪を受け取り、新しい普通の指輪を取り出した。
電は左手をこちらに差し出している。
「えーと、どの指に嵌めれば?」
「ケッコン指輪の代わりなのですよね?」
電の声に、何故か有無を言わせぬ迫力がある。
ケッコン指輪には様々な規定があり、嵌める指も決められている。なんでも、その指でなければ効果を発揮せず、それがケッコン指輪と言われる由縁になっているとか何とか――。
「いい、のか?」
「なのです」
意を決して、電の細い指に指輪を通す。何だか電に初めてケッコン指輪を渡した時よりも緊張する。あの時もこうやって嵌めたんだったか。
「ありがとう、なのです」
今まで見たことのないくらい眩しい、綺麗な笑顔で電はそう言った。
「司令官さん?」
思わず見惚れていたらしい。電の声で我に返る。
「ああ、すまない。何でもない」
「なのです?」
ふと、外が薄暗くなっていることに気付く。
「そういえば、他の姉妹を外で待たせているんじゃないのか?」
「暁ちゃんたちは先に駅の方まで行ってるはずなのです。『美味しいスイーツ屋さんがあるから、後からゆっくり来たらいいわよ!』って言ってたのです」
どうやら暁にまで気を遣われていたらしい。響か雷の入れ知恵だろうか。何にせよ今回は感謝しておかなければ。
「なら少し一緒に歩くか」
「なのです!」
*
名残惜しみながら鎮守府にお別れして、司令官さんと二人で歩く夕暮れの街。
薄暗くなって街灯やお店の電気が点き始めたせいか、なんだかとても綺麗に見えるのです。
人があちこちに出入りしていて、活気があります。電たちがこの街を守れたのなら、戦ってきた意味はあったのかもしれません。少しだけ、報われたような気分になるのです。
さっきまであんな話をしていたのに、”ただの指輪”をもらっただけでこんなに気分が晴れてしまうのは、電が薄情だからでしょうか。
あの日守れなかった”彼女”は、どう思うでしょうか――。
「えっ――」
「どうした?電」
行き交う人の中に、今はもういないはずの、たった今記憶に浮かんでいた顔を見た気がして。後ろを振り向くも、その姿はもう人混みに紛れてしまっていました。
「――いえ、何でも無いのです」
「?」
きっと電の記憶が作り出した都合の良い幻覚なのです。
でも、
「司令官さん」
「なんだ?」
今ならあの時の満足そうな表情の意味も分かる気がします。
それなら電は、戦いが終わった世界で、”彼女”の分も、精一杯幸せに生きていくのです。
「これからもよろしくお願いします、なのです!」
~ おわり ~
あとがき
しもうさです。SS書くのは初めてなので初投稿です。SSに限らず人に読ませるお話を書くのは初めてなので、見苦しい点等ありましたらご容赦ください。
社会人になってこういった創作にかけられる時間と体力が減ってしまいましたが、たまにやると楽しいですね。読んでくださった方々と、機会を作ってくれたCu君に感謝します。