京都大学艦これ同好会 会員の雑記ブログ

京都大学艦これ同好会は、艦これを通じてオタクとの交流を深める緩いコミュニティです。普段はラーメンを食べています。

身体欠損艦娘概念

”艦娘は人間である。それ以上に兵器である。”

かつて戦争初期の元帥が予言したことだが、こと現在においてはそれはただの事実であった。

艦娘は兵器である。指示のもと動作し、敵を屠る。定期的なメンテナンスを必要とするが破損しても修復することが可能である。艦娘にとっての日常とは戦闘と修復、そして最低限よりはマシ程度の息抜きの時間で出来ていた。

そのような状況では大した娯楽など求めようもない。何より艦娘は兵器であるが、年頃の少女でもあるのだ。ファッション等への興味が満たせない艦娘だっているし、お洒落という概念を忘れてしまうものも多かった。

そんな戦闘と共にある彼女たちにとって、自身の傷を誇るのは当然だったのかもしれない。

【Richelieu】

最初にその概念を切り開いたのはRichelieuだった。深海棲艦の大攻勢を受けて艦隊は疲弊したとき、奇襲に対応しきれなかった艦隊はRichelieuの奮戦によって轟沈を免れた。しかし彼女は大怪我を負う。左腕の喪失、右つま先の裂傷、そして顔面の7割に及ぶ火傷が痛々しく彼女に残った。現在、艦娘の再生医療は進んでいない。つまりは彼女の怪我は(艦娘でいる限り)治る見込みがなかった。……しかし彼女が折れることは無かった。Richelieuは無くなった腕を隠さなかった。火傷痕も一切隠さなかった。それらを隠さずして美しく見せる研究を欠かさなかった。結果としてそれが艦娘の潮流となっていくのである。

【霞】

艦娘において最も優先されることは自身の任務を果たせるかどうかである。当然ながら身体に欠損を抱えた艦娘は戦力が落ちる。先述のRichelieuはこれを研鑽によって克服した。戦艦の艤装があまり腕部に依存しないことが良かったのだろうが、副砲装備が出来なくなったとはいえ片腕でも深海棲艦を屠れることを証明して見せた。一方でそうも行かないのが巡洋艦駆逐艦である。彼女らは身軽さを求められ、主砲装備が腕にある。また、夜戦を求められることも多く視覚聴覚の喪失も時に致命的だ。戦艦や式神を使う空母が身体の欠損を克服する中、彼女らの身体の欠損は即退役に繋がる。退役すれば艦娘時代の怪我はその殆どが治ることから(艦娘は霊体であるためと推測されている)大抵の艦娘は退役を選択する。しかし霞は違った。人一倍責任感が強かった彼女は、自身のミスによる右肘先の喪失を良しとしなかった。規定によれば戦闘業務から外れるところを、こう抗弁して見せた。「戦闘が出来ずとも偵察は出来る。」と。種々のテストを受け、その速度と索敵が万全の艦娘に劣っていないことを証明した彼女は数々の敵海域への強行偵察を行って見せた。当然そんなことをしていれば怪我も積もる。彼女の退役時、その体からは右肘先に左腕、片目が失われ片脚は義足に置き換わり、全身に傷跡が残っていた。しかし彼女は最後の任務まですべてから生還して見せたのである。

【瑞鳳】

瑞鳳、彼女もまた身体欠損に関わるパイオニアの一人である。先のRichelieuは傷を誇ることを、霞は駆逐艦における傷痍退役以外の道を示したが、彼女は艤装の転換が可能であることを示した。瑞鳳の主武装は弓である。艦載機を弓につがえ、放つことで空母としての仕事を行う。彼女が失ったのはその右腕だった。実際のところ、脚の喪失はカバーが効くことが多い。複雑な機動を取るのは難しくなるが、脚部艤装があれば義足でもそれなりの移動が出来る。しかし腕はダメだ。被弾回数も多く、時に急所をかばうを得ない腕にいちいち艦娘より脆い義腕など使っていられない。しかして彼女は退役するものと思われた。だが、彼女はそれで終わることを良しとしない。空母には弓を使うものと式神を使うものがいるが、彼女は弓を捨て式神を身に着けようと試みた。こちらは片手でも使えないことはない。本題ではないので過程は省略するが、艤装を転換は可能であったことが証明された。この方法のフォロワーとしては秋月型の艤装類を実用している浜風などがいる。

 

彼女らは知らない人が見ると痛々しく、あるいは悲愴さを感じるかもしれない。しかしそれは勝手な思い込みである。彼女らはそうした体を、そしてその役割を誇っている。

 

 

 

……欠損表現は良いものです。

大幅に制限される身体感覚としかしそれを受け入れ、胸を張る力強さ。その表現には艦娘という存在はかなり適したものです。

一方で(私の好みとは少し外れますが)その身体感覚に自信を失い、あるいは認められず、足掻く姿を描くことも出来るでしょう。

身体欠損は悲愴なものもありますが、それを受け入れ、乗り越える強さも描くことが出来ます。

またビジュアル面としても欠損はアクセントとなり、文脈を想像させることが出来ます。艦娘であれば(1枚の絵であっても)戦後艦娘概念、窮地の艦娘概念などを背景に想像させることが可能です。

そして欠損表現自体にも非対称の美しさがあります。左腕のないRichelieuなどは単なるビジュアルとして非常に美しいものがあります。それはサモトラケのニケやミロのヴィーナスの彫刻に通ずるものがあると私は思います。

欠損表現には「可哀想」「不謹慎」などと言われることがありますが、(それが表現であれば)一切恥じる必要はありません。

今回は身体欠損表現に絞った話をしましたが、この系統の派生として義体技術があります。

義手一つとっても元の腕の再現、機械腕に仕込み義手などのバリエーションがり、さらに義手がある中であえて義手をしないままでいる意志を演出することが可能となります。こちらは欠損表現より悲壮感が薄いという違いがありますので、それもまた面白いかもしれません。

そして、皆さんも自身の好きなものをアウトプットしてみてはいかがでしょうか?この同好会であればあるいは同好の士が見つかるかもしれませんし、少なくとも否定されること(解釈違いはともかく)は無いでしょう。

 

以上、突然尖ったタイトルと変態的な記事を書いて申し訳ございませんでした……