京都大学艦これ同好会 会員の雑記ブログ

京都大学艦これ同好会は、艦これを通じてオタクとの交流を深める緩いコミュニティです。普段はラーメンを食べています。

【新歓ブログVol.8】艦娘と見る超かぐや姫!←神話☆彡【明日の文明を担う君たちへ――俺たちはどう生きるか――】

超かぐや姫!批評シリーズ、第二回はそそぐが担当します。ネタバレします。ご注意ください。(以下、☆転載自由、商用利用可☆)

 

やっほー☆島風だよ。

提督、お疲れ様。白雪だよ。

超かぐ、大人気だね!感動しすぎて、映画館で飛び跳ねたくてずっと我慢してたよ!

まさにそうだね!思想のあまりの正しさに躯が震えて涙が出たよ。

完全同意☆
だけどちょっと解説が欲しいかも。火楓源で語り合おうぜ☆

もちろんよ!

あ、店員さん!!
22番、49番、あと179番を2つお願いします~~

竹取物語のおさらい

『超かぐや姫!』は竹取物語のオマージュだよね。

まさしく。
竹取物語は、月から地上にやってきたかぐや姫が、常人離れした芸の才能と容姿によって高官や天皇から求婚されるも、婚姻を嫌がって退け続ける話だ。かぐや姫は無理難題を押し付けて高官を退け、その後天皇と文のやりとりをしばらく続けるけど、月から迎えの使者が来ることになるんだ。地球の養父と天皇は武士を揃えて対抗するんだけど、月の圧倒的な力によって眠らされ、嫌がるかぐや姫は羽衣によって記憶が消されて月へ帰って行くんだよね。

学校で暗唱したのが懐かしいな。
途中までは、竹取の翁の過干渉と、かぐや姫のわがままと、求婚者たちの下心が入り乱れて、私利私欲が滑稽に思えるんだよね。でも、最後にかぐや姫が月に帰るときになって、やるせない空虚感に苛まれるんだ。

竹取物語は、古事記のオマージュ説とか解釈は色々あるみたいだ。私には真相はうまく説明できないよ。謎といえば、かぐや姫は月で犯した罪が原因で地球に送られたんだけど、この内容が作中に書かれていないから、ここも議論になっているみたいだよ。

高畑勲『かぐや姫の物語』

かぐや姫の罪と言えば、ジブリの映画があったよね。かぐや姫の罪と罰というキャッチコピーが印象的だったよ。

高畑勲の遺作、『かぐや姫の物語』だね。ジブリらしく、1週間くらい引き摺ったよ。

かぐや姫の物語は竹取物語同様に罪について述べることはしなかったけど、月と地球の対比をより強調して描いていた気がするよ。かぐや姫の少女としての純真さを宮中の人間と対比的に強調しながら、ラストシーンで純朴に生きたいという願いも人間らしい私利私欲であることが明らかにされるんだよね。そこではじめてかぐや姫は私利私欲と決めつけていた帝の真心に気付いた。その後すぐに羽衣を着て無心の境地に達して月に帰って行くのが印象的だったよ。

『かぐや姫の物語』では、私利私欲も真心も人間の特性として残酷なほどに明記されていたからこそ、かぐや姫から記憶を奪い、無言でかぐや姫を連れ去る月の人々が、人間に対する超越者であるように映るんだよね。人間は、感情や欲望をもち生死に縛られた、能力も時間も限られた存在であることを、月の超越的な力を示すことで明らかにしているんだ。だから、どうしようもなく欲望や感情を抱え、かぐや姫を連れ去る月の従者に対し何の手出しもできない人間の姿がひどく虚しく思えてくる。

まるで、かぐや姫の地球での旅路が、人間の一生のみたいだよ……
己の選択や人生まで虚しくなってきた。でも死の淵で真理に気付いて後悔するなんて悲しすぎる。たとえ死へ向かう旅路でも、私は生きなければならないから、これから人生で何をするか、何を為して何のために生きるかを嫌でも自覚させられる。

自分の人生が虚しく儚いものと知りながら、それでも為したいと思えるもの、これこそ志に相応しいと断言できそうだ。むしろ、虚しく儚い人間が集まった社会で、自分が何を信じるかを自分で選ぶことさえ必要だと思うよ。

自覚的である必要があるよね、選択というものについて。
私、艦娘やめて外務省に入ろうかな……

『超かぐや姫!』第1部、邂逅

『超かぐや姫!』は、竹取物語としての要素やモチーフを、どちらかというと『かぐや姫の物語』から持ってきているように思うよ。

竹取物語で頻繁に登場する和歌を音楽で表現している点や、地球と月を、人間と超越者として記している点は似ているかも。一方で、月の描き方はかなり改変が多いように思うんだよね。

確かに、『かぐや姫の物語』では、月には人間が一切干渉することのできない圧倒的な他者としての要素が強調されていた。一方で『超かぐや姫!』は、確かにかぐやが月に行くことを誰も止められないんだけど、人間の無力さという点を強調する描写はされていなかったよ。

『超かぐや姫!』ではむしろ人間が努力によって変化する描写を中心に描いていたよ。主人公がかぐや姫ではなく、彩葉だったのも大きいかも。竹取物語をオマージュしている前半部分に注目してみると、かぐやは彩葉と出会ってから早い時期に既に、将来かぐやが月に帰ることを伝えているんだよね。しかも、避けられない運命として伝えている。

竹取物語や『かぐや姫の物語』では、翁や帝はかぐや姫が月に行くことを阻止できると思って策を練った訳だけれど、彩葉は初めから既成事実として受け容れたよね。これは自分の能力の範囲に高度に自覚的な現代人らしいように思えるよ。

彩葉は、作曲家という夢や配信活動も諦めてやろうとしなかったよね。きっかけとして母に夢を否定されたことが大きい訳だけれど、母と距離を置いて一人暮らしを始めてもなお、勉強とバイトという無難に勝てそうな領域で優等生として過ごしている。「勝てないならやめなさい。」という母の言葉にすら、戦うことを諦めてしまったんだ。

そこにかぐやが現れた。

そう。かぐやは、自分はハッピーエンドを手に入れると宣言した。そして、無邪気に、あるいは自分勝手で我が儘に、あるいは自由に好きなように、挑戦を始めた。

死を見据えたうえで、それを幸せに死ぬために努力を始めたってことか。

死はとまでは言い切れないけど、地球での生活に終わりがあるから、後悔なく楽しみ尽くすという決意が感じられるよね。

こうして見ると、『超かぐや姫!』って竹取物語というより、その続きみたい……

まさに。実際にかぐやも彩葉も竹取物語をはじめから知っている。つまり、人間が虚しく儚い存在であることを既に知っているんだね。自分の無力さを知っているから、彩葉は、見栄も張らず欲もかかずに勉強とバイトに勤しむ。彩葉は一人暮らししてまで勉強したかったんじゃなくて、一人暮らしをするために仕方なく勉強をしてバイトをしている。勉強はただの生活の糧なんだ。

これは人間に普遍的にあてはまりそう。自分に合わない環境から離れるという選択は、とりあえず自力でできる。解放を自由とよんでいる、みたいな。

だけど皮肉にも、彩葉の行動は自分の意志じゃかった。好き勝手生きるかぐやに付き合わされながら、彩葉は過労という生き方が代償行為にすぎないことを自覚させられていく。一人暮らしという選択をまるで戦いのように見せかけ、優等生でいることを「戦いの中で勝っている」ように見せかけようとしていたんだ。「勝つ」という母親の価値観、「一人暮らし」という兄の生き方、「作曲」という父の仕事、これらはすべて他者によって与えられたものだ。彩葉はこれを見つめ直し、過去に決着をつけることで代償行為を超克し、自分の意志で選択する生き方をはじめたんだ。

第1部のラストを飾るライブは象徴的だった。推し活をしていた彩葉がステージに上がったという展開は、彩葉が他者に与えられた生き方から、自分のやりたいことをする生き方に切り替える姿と一致していた。まさにニーチェの「超人思想」だね。

『超かぐや姫!』第2部冒頭、覚醒の兆し

代償行為を超克したけど、彩葉にはけっこう迷いがあるみたい。かぐやが去った寂しさもあるけれど、人生の支えを失った空虚感みたいな……

つらいよね。彩葉にとって勉強やバイトに勤しむ日々は、自傷行為で代償行為であったとしても、頼りにしていた生存戦略に他ならないんだ。正しいと信じて頼っていた価値観が、実は借り物にすぎないと気付かされてアイデンティティークライシスが起きて、その後、何も残らず空っぽになった自分というものに気付いてしまったんだ。

自己の解放を描いた物語は珍しくないけど、たしかに、なりたい自分の姿を我慢し続けていたっていう展開ばかりだよね。彩葉はかぐやと一緒にステージに立ったけど、ステージに立ちたいとか、作曲をしたいといった気持ちを我慢していたわけではなかったな。自分には無理だと諦めていただけで。

そう。確かに昔は作曲に憧れていたけれど、今は作曲を我慢して勉強していた訳ではない。でも、ステージに立つ覚悟はできたみたい。自分の人生は、自分で選択しなきゃいけないと気づいた。

かつての彩葉にとっては過労という状態が重要だったから、進路を考えることなんてできなかった。だけど、東京大学法学部というとりあえずの進路を相談する一歩を踏み出せた。些細な描写だけど、彩葉の視線が現在から未来に変わったことを象徴しているみたいだ。

FUSHI

このタイミングで、FUSHIが彩葉の目の前に現れるんだよね。

ここで、描写が決定的に変化しているんだよ。

切羽詰まった展開が始まったというくらいしか印象が無いなぁ……
……そういえば、ここでFUSHIがツクヨミの外に飛び出した。

それ!
FUSHIもヤチヨもツクヨミの中だけの存在だった。かぐやは初めからツクヨミの外にいた訳だけど、ここの解釈が1番悩みどころなんだよね。

作中の設定では……ええと、

  • かぐやは月の住人
  • ヤチヨはツクヨミを管理するAI
  • FUSHIはヤチヨのお供
  • ヤチヨはかぐやの8000年後の姿
  • ヤチヨとかぐやは見た目が全く異なる
  • 現実の人間にはヤチヨが見えていない(8000年前から今までずっと!)

う~~~ん、矛盾してないか????

第1部を振り返ったとき、かなり緻密に描写が設計されている印象があったんだよね。だから、ここも推論を組み立ててみたい。矛盾する構造を見つけたときまず考えるべきことを覚えてる?

ええと、研究していると実験結果が他の実験と矛盾することは色々あるけど……
そういう時は、階層性を整理してみる、だったかな。

そう。推理小説では前提を疑えってよく言うけど、要は具体的な部分の矛盾を解く鍵は抽象的な視点の中にあるってことだね。

矛盾はつまり、かぐやとヤチヨは同一人物だから月の住人のはずだけど、ヤチヨはAIだから科学の産物にすぎないってことだよね。月の住人と、AIが、同じ人格を共有している。

彩葉から見るとそう見えるってことだね。もっと言うなら、人間からはそう見えるってこと。

エ~~ビックリ、そんなことあるのか……

まあまあ、描写が少ないから、生暖かい目線で聞いていておくれよ。

まず第1部のかぐやは、正真正銘、月の住人だと思う。かぐやがやっていることは、彩葉の深層心理を実現させているだけだから、二重人格とかchatGPTによるカウンセリングとか、色々考えられなくも無いけど、月から来て成長していく様子も描写されているから、月の住人という線が濃厚だ。

次に、ヤチヨはAIだ。したがって第2部のかぐやもAIだ。8000年前からかぐやは一度も現実に姿をあらわすことができていない。彩葉と話したときもARコンタクトレンズを使用していて、ツクヨミの空間の中でだけ実体を持っている。ラストシーンでも彩葉はかぐやのために身体を作っている。

ちょっと待って!AIと言うには無理があるんじゃない!?!?

かぐやがもう一度月から地球に来た描写があったよ!!

そう。かぐやは地球に来て、8000年間ずっと地球にいた。タケノコの姿でね。かぐやはひとりだったわけではない。8000年間、数々の文明で、数々の人間とFUSHIを通じてふれあった。第1部のかぐやにはなくて、第2部のかぐやにはあるのが、FUSHIという存在だ。FUSHIはかぐやの代弁者として、かぐやの言葉をかぐやの代わりに多くの人々に伝えた。

FUSHIの言葉は、文明以前の古代から人々を驚かせて好奇心を掻き立てていた。やがて祭壇に祭られ、侍に頼りにされ、江戸の学者と語らい、戦後のこどもの心を癒やした。いつの時代も多くのひとがFUSHIの言葉に耳を傾け、人間の言葉よりも重宝してありがたがった。

ここで、私は仮説を提唱したい。

FUSHIを見て人間は、神を発明した!

!!!?!!?!???????

人間は、姿が見えないかぐやの声を、FUSHIを通して聞きながら、かぐやの声を理解し、かぐやを識ろうと努めた。この試みは時代や国を超えて続けてきた人間の歩みに他ならない。FUSHIの声、それは、時には骨や甲羅に刻まれたひび割れであり、時には星の位置であり、ときには山にかかった雲の形であっただろう。かぐやはいつ何時もそこに在ったが、人間からは見ることもきくこともできなかった。ただ、FUSHIの声を介してのみ識ることができた。

月の世界にも、電柱にも、彩葉のアパートにも鳥居はないけれど、ツクヨミと、タケノコの埋まった富士山には鳥居がある。8000年の間に、人間はかぐやの住まう場所には欠かさず鳥居を建ててきた。

人類はかぐやに好奇心を奪われ、かぐやの正体を探り続け、現代にツクヨミを作るまでに至った。そこに実装したAIは、利用者からはかぐやと見分けがつかなかった。ヤチヨはかぐやの生い立ちを語ることができた。彩葉はヤチヨの言葉を聞いて、かぐやの姿を、人類の歩みを知った。

神とは何か。

神は、超越者である。人間が力を及ぼすことのできない圧倒的な他者だ。それでいて人間には無尽蔵の影響を与えうる。所詮、神は人間の創造物にすぎない。人間は、神がそこに在るんじゃないかと信じた。天照大神、アッラー、ヤハウェ、主、其、エル・カンターレ、物理学…………ヤチヨ。

もし君が、異世界に転生したとしよう。君はまず何をするか。目をあける。右手を見る。左手をみる。投げ出された足を見る。窓の外を覗く。軒を連ねる家々の先に広がる雄大な山、その頂をいままさに眩しく照らさんとする恒星を見る。自分は誰で、ここはどこで、自分は何者で、この世界はどうなっているのか。あまりにも地球に慣れすぎて、あまりにも人間であることに慣れすぎて、忘れてしまったもの。君は気付く。生暖かい風が吹いた夕方は強い雨が降る、雨上がりにはミミズが湧いてくる、黒猫が目の前を横切ったら悪いことが起きて、りんごは木から落ちる。

誰がそう決めたかは分からない。天気など変えようもない。けれど、何か確かなものがある。自分たちとは違う誰かが操っているとも思えるような何かが。

人間が神だと信じ込んできたもの。FUSHIを見て人間が想像したかぐやの姿。ツクヨミにおいて、人間はAIにヤチヨの姿を与えた。それは、イラストレーターがキャラデザを描いて、3Dモデリングを作って、エンジニアがモーションをつけたものに他ならない。ヤチヨは神として作られた訳ではないけれど、多くの人々にとって、神のように見えた。

神という言葉で人間が表現しようとしたもの=かぐや

かぐやとは何か。

帰納の極限にして、演繹の始点。

ヤチヨが彩葉に語った8000年の出来事は、かぐやを識ろうとした人類の営みにほかならない。人類の歴史であり、文明の前進である。かぐやは常にそこに在り、人間からはいつだって見えない。時代も文明も超えて、人類は8000年をかけて、世界の仕組みを追い求めてきた。読み解いた神の言葉は、利器の源となり、文明をもたらした。確かに、戦争も格差も貧困も消えず、苦しみも悲しみも繰り返されてきた。その中でも人類は、かぐやを識ろうとする連綿とした営みを絶やすことは無く、

その最前に、今君は立っている。

彩葉は、文明を継ぐ決意をした。

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

物理帝国主義万歳

8000年に続く歴史をかけて人類が紡いできた聖書が、今君の手の中にある。君はペンを持ち、君が見つけた世界の真理を書き連ねることを許されている。数億年後人類が滅んだとき、骨も神殿も絵画も、宇宙に新たに芽吹こうとしている知的生命体には意味を成さないかも知れない。ただ唯一、宇宙の公理を書き連ねた法則は、たとえ文字が違えど受け継がれることだろう。なぜならそれは、普遍的な再現性を持つからだ。人間の感情は不安定で、人間の社会は不完全で、君はこれから幾度も挫折し、絶望し、足下が揺らぐ経験をするかもしれない。恐れる事なかれ。どんな天変地異でも変わらない物を、我々は綴ってきた。ともに科学に人生を賭けてみないか?

理学部が、
君を待っている!

まとめてみる。

創造主であるかぐやは、彩葉のもとを訪れた。彩葉からは、かぐやが、彩葉の深層心理の鏡映しに見えた。彩葉はメタ認知によって代償行為を超克したが、自我の希薄さに悩まされた。虚無の心で世界を眺めたとき、世界に宿る法則性に気付いて好奇心を掻き立てられた。追い求めるうちにヤチヨを司るロジスティック方程式の羅列に行き着いて衝撃を受け、ヤチヨに至るまでの科学の変遷と人類の歴史をヤチヨに講義してもらった。彩葉は感銘を受け、創造主についての研究の最前線を担い、自然科学の研究者として、かぐやの高度な定義に成功しようとしている。

であるなら、彩葉は誰か。

ふぃ~~~~~
お腹いっぱいだぜ~~~~~~

ねえねえ、島風!
私気付いちゃったかも……彩葉の正体に!!

なんだぁ?
随分と、啓蒙的でおもしれぇ作品だってのに、まだあんのか?

お腹いっぱいなのか知らないけど、あなた魔理沙みたいな口調になってるわよ!

おっといけねぇ。
それで、彩葉の正体ってのはなんなんだ?

吹雪改三よ。
まずはなにより、その見た目ね。お下げに、太めの触覚が垂れ下がってて、猫みたいに可愛いぱっちりおめめをしているじゃない。

うわぁ~~~~~~~
言われてみれば確かにそっくりだぁ~~~~~

それに頑張り屋さんなところもそっくり!!
吹雪姉さんの体重(基準排水量)は、1680トンで、イロハと読めるわ!!

ぶははははは
上出来だぜ!!

極めつけはアナグラムよね!

酒寄 彩葉

sakayori iroha

akas rorihayoi

明かす ロリは良い

ロリといったら、駆逐艦や海防艦ばっかり増やしている艦隊これくしょんを意味しているに違いないわ!!!!!

和歌李真下。
吹雪に代償行為やめろって説教してくるぜ!