京都大学艦これ同好会 会員の雑記ブログ

京都大学艦これ同好会は、艦これを通じてオタクとの交流を深める緩いコミュニティです。普段はラーメンを食べています。

任務娘の思い出話

「あの、大淀さんって、いつからこの仕事をなさっているんですか?」

「へ?」

それは何てことない打ち合わせの途中でした。思ってもいない質問でしたが、そう難しいことを聞かれている訳ではありません。ただ、それは私にとって、ちょっとだけ複雑な質問でもあったのです。

「私、ずっと大淀さんに憧れていたんです。それで、大淀さんがどんなことを思って仕事してるのか、とか、どうやったら大淀さんみたいになれるのか、とか、気になっていて。よかったらお話してくれませんか?」

「なるほど……」

 眼前の人物はこちらに期待のまなざしを向けてきます。私はちょっぴりの覚悟をして、ひとつため息をついて、それから、メガネ越しにその目を捉えました。

「少し長くなるかもしれません。とりあえずこの企画の打ち合わせを終えてから、改めて話しましょうか」

 

「もともと私は、鎮守府が出来た頃からここで働いていたんです」

「すごい! オープニングスタッフ、って奴ですか!」

コーヒーにミルクと砂糖を混ぜながら、彼女は感嘆の声を上げました。鎮守府の簡素な応接室は、机と椅子と少しの小物があるばかりの部屋です。私は自分のコーヒーを注いでから、ゆっくりと彼女の向かいに腰かけました。あまり自分のことを話すのは得意ではありませんし、こんな大げさな反応をされると、すこし困ってしまいます。

「ええ。でも最初は、艦娘としての仕事をしてはいませんでした。ほら、私って眼鏡してるでしょう? もともと視力が良くなかったものですから、索敵が大事な海上戦闘には向いてないって言われて、艤装も私に合うものがなくって。それで、しばらくは事務仕事をしていました」

「下積み時代ですね……」

「と言っても、艦娘になった今も同じような作業を続けてはいますけどね。思い返せばそう大変な仕事ではなかった気もしますが、なにぶん当時新しい環境で、たった一人での仕事でしたから、不安や焦りもあって、すごくピリピリしていました。」

 懐かしい。まだ私に「大淀」という名前のなかった頃の話です。まだ人も少なくて、期待もされていなかった頃。それでも毎日が必死でした。

「それで1年くらい経った頃でしょうか。私に適合する艤装が作れた、視力の問題も何とかなりそうだから、一緒に前線で戦ってくれと、通達が来たんです」

「おお! 晴れて大淀さんが『大淀さん』になる訳ですね」

「でも私、その通達を受け取った時、怖くなってしまって、一度逃げてしまったんですよね」

 あまり他人にしたことのない話でした。当然、彼女も呆気に取られた顔をしていました。「憧れ」とまで言わしめた相手が艦娘になるにあたって逃げ出した、なんて、幻滅させてしまったでしょうか。

 私はコーヒーを一口飲みました。

「ずっと事務の仕事をして、艦娘を鎮守府から見てきたでしょう? そうすると、傷ついて帰ってくる姿を見ることもやっぱり多いんです。海に行ったきり、戻ってこない仲間もいます。私はそうやって欠員が出たときに、その除籍の手続きや身辺整理なんかもしていました。そんな日々が、艦娘になることへの恐怖心を、知らず知らずのうちに私の心に植え付けていったんでしょうね。」

「でも大淀さんって、もともと艦娘になりたかったんですよね?」

「そう。だからこそ、手に入れたものへの『喜びであるはずの感情』と、身体が否応なしに示す拒否反応が矛盾して、どうにかなってしまいそうでした。気が付くと私は鎮守府を飛び出して、工廠の奥、誰にも見つからないような場所に逃げ込んでいたんです」

 あまり思い出したくない記憶です。あの時の私は、脳がぐらぐらして、手が震えて、胃液がこみあげてきて、本当に狂ってしまうかと思いました。ここまで来て怖気づく自分が、愚かで、情けなくて、醜く思えたのです。

「しばらくして、人の声が聞こえました。明石さんの声でした。彼女は鎮守府立ち上げの頃からの同僚で、私がどこにもいないのを心配して、探しに来てくれたんです」

「ああ、明石さん! あの方も最初からいらしたんですね」

 彼女も明石のことは知っているようでした。仕事の関係で直接話したことがあるのでしょう。裏方は裏方同士で繋がりを深めがちです。私もそうなのですから。

「ええ。彼女も最初は艦娘ではありませんでしたから、私としてはなんとなく親近感を覚えていました。それが、この数か月前に艤装を貰い、『明石さん』になったんです。私は、もしかしたら彼女なら何かヒントをくれるかもしれないと思って、相談をしました」

 今思えば、私が工廠に逃げ込んだのも、明石に見つけて欲しいと思っていたからなのだと思います。あの場所はあまり他の人が出入りしないので、よく二人で内緒話をしたものでした。

「ご存知かもしれませんが、彼女はあっけらかんとした性格なので、私みたいな悩み方はしなかったそうです。ただ、私にも通用する話として、こんなことを言ってくれました」

 ひとつ、呼吸をして。

「艦娘になることは、その船の記憶を受け入れること。あなたが艦娘に選ばれたということは、きっとその船とあなたに重なるところがある」

 

 少しぬるくなったコーヒーに口をつけます。向かいの彼女はコーヒーのわずかに残ったカップを持ったまま、真剣な表情をしていました。なんとなく、素朴で邪気のなさそうな顔だな、と思いました。

「さて、『軽巡洋艦大淀』とは、どんな艦なのか。艦娘と言うのは不思議なもので、その艤装から艦の経験した記憶が脳に流れ込むように理解できるのです。私はまず、私のための艤装、『軽巡洋艦大淀』の艤装に触れてみることにしました」

「どうだったんですか?」

「そもそも大淀は、潜水艦に指示を出すため、索敵と統制を図るための艦として設計されました。私の役割は、より遠くを見渡し、味方を指揮して勝利をもたらすことだったのです。しかしこの運用が有効に機能するより前に、大淀は『連合艦隊旗艦』、つまり多くの艦を指揮する司令部として任命をされました。ただ、これも上手くいかなかった。この他に戦果を上げる活躍をしたこともありましたが、最後は敵の爆撃機の発見が遅れ、呉の港に沈みました」

 こと日本の艦隊において大概の艦の歴史というのは、華々しい戦果によって語られるよりも、死をもって締めくくられる苦難の道のりによって示されます。いや、私にも誇るべき戦果はあるのですが、しかし記憶に残るのは失敗ばかり。やはり自分のことを話すのはあまり得意ではないな、と改めて感じました。

 悲痛な記憶を振り切るように、呼吸を整えて。

軽巡洋艦大淀は、遠くを見渡し、艦隊を勝利へ導く道筋を示すことに、悉く失敗している。その心残りが、私に託された大淀の悲願だと、そう私は感じました。目の悪い私は、誰よりも『見えることの有難さ、大切さ』を知っている。艦娘ではない身として鎮守府で過ごし、仲間の死や傷に心を痛めた私は、『全体を見通し、誰も沈めずに勝利を導くことの難しさ』を理解している。だから私は、軽巡洋艦大淀なんだ。そして、私以外に軽巡洋艦大淀はいないんだ。そう、直感しました」

 

 窓に目をやると、夕焼けに染まった光が差し込んできています。彼女は空になったコーヒーカップを抱えたまま、神妙な面持ちで聞いていました。きっともっと明るい話や、艦娘としての活躍とか抱負とか、そういうものを期待していたんだろうな、と思い、少し申し訳なく思いました。いったい私は、なんでこんな話をしてしまったのでしょうか? 

 私はコーヒーを飲み干して、最後の言葉を伝えます。

「つまり、いつから私がここで仕事をしているかというのには、2通りの答え方があるんです。ひとつは、『鎮守府が設立された、その日から』私はここで艦隊指揮の補助をしています。もう一つは、『鎮守府設立の1年と少し後』軽巡洋艦大淀は、ここに着任しました。」

 いかがでしょうか、と聞いてみました。彼女はしばし難しそうな顔をして沈黙していましたが、だんだんと表情が緩み、初めのような爛々とした目を、そのメガネの奥に輝かせるようになりました。私はすこし、ほっとしました。

「ありがとうございます! 私、鎮守府で指揮を執っている大淀さんのこと、すごくかっこいいと思って尊敬していて、私もあんな風になれたらなって思う一方で、艦娘についても戦いについてもわからないことがすごく多いし、この仕事もまだ始めたばかりで、不安だったんです。でも、大淀さんも怖くて不安だった時期があって、それを乗り越えて今があるって知って、私も頑張ろうって思えました!」

 早口でまくし立てる彼女を見て、ああ、そうか、と思いました。きっと私は、過去の自分や、艦娘にならなかった自分のことを、彼女に重ねて見ていたのでしょう。艦隊の近くにあって艦娘でない少女、自ら戦闘をせずとも鎮守府に貢献する可能性を見出す姿に、なるほど親近感を覚えてしまった訳です。それであんなに自分のことを話してしまったのかと、ひとり膝を叩きました。

 私がそうしていると、彼女は時計を見て、慌てた様子で荷物をまとめ始めました。

「すみません、長くなってしまいました! 本部に戻らないといけないので、私はここで失礼させて頂きます。今日は本当に、本当にありがとうございました。あ、打ち合わせした広報企画の件、どうかよろしくお願いします!」

「こちらこそ、長話に付き合っていただき、ありがとうございました。今後とも末永くよろしくお願いします」

 バタバタと片付けをする彼女は街に不慣れな学生のようにも見えて、なんだか微笑ましく思えました。この少し強い思い入れは、メガネ同士のシンパシー、というものなのでしょうか。私はやや焦り過ぎな彼女を落ちつけながら、玄関まで見送りに向かいました。

 そういえば、彼女の名前を知らないな、と気が付きました。相手と喋っている時というのはあえて名前を呼ぶこともありませんし、鎮守府内では役職名で通っているので、本名を知らなくとも会話になってしまうのです。彼女とは去年くらいからの不定期な付き合いで、しかも仕事の話しかしてこなかったので、全く気にしてもいませんでした。今更聞くのも申し訳ないですが、知らないよりはいいでしょう。

「すみません、今更なのですが、私、あなたのお名前を知らないんです。お名前は何というのですか?」

 彼女は驚いて、確かに自己紹介をちゃんとしてなかったな、と悩むような、悔いるような顔をして、それから、真っすぐにこちらを向いて、答えました。

「はい! 私の名前は」

 

 

あとがき

 えりあるです。最後までお読みいただきありがとうございました。SSはマジで初投稿です。人間の読める文章になっていたら幸いです。

 大淀さんの話を書こうと思ったので、大淀さんの話を書いていたのですが、自動的に明石が入ってきて笑ってしまいました。やっぱ明淀なんよ。よろしくお願いします。