京都大学艦これ同好会 会員の雑記ブログ

京都大学艦これ同好会は、艦これを通じてオタクとの交流を深める緩いコミュニティです。普段はラーメンを食べています。

似非物語 ~ドラゴンてんりゅう~

※注意
この落書は、艦これと偽物語(下)の二次創作です。
何でも許せる人だけ見てください。

「提督。何かオレに、して欲しいことってないかな?」

 今日も今日とて早朝に起き、朝食前のノルマになっている遠征艦隊の編成をしていると、いきなり(ノックもなしに)扉が勢いよく開かれて、天龍が提督室へと乱入してきたのだった。

 天龍。
 天龍型一番艦軽巡洋艦
 男勝りな戦闘好き艦娘。

「……ねえよ。」

 僕は答えた。
 ちなみに『扉が勢いよく開かれて』というのは、やや事実に反した表現であるとも言える。叙述物の推理小説であれば、評論家からアンフェアだと責められかねない不公平さが、そこにはある。
 現実には、昔懐かしき刑事ドラマにおいて犯人のアジトに突撃する捜査員よろしく、天龍は提督室の扉を蹴り開けたのだった。
 それが彼女にとってスタンダードなドアの開け方なのだ。

 「えー。なんかあるだろー。」

 不満そうに言いながら天龍は、机に向かう(振り向きもしない)僕に絡んできた。
 この場合の『絡んできた』というのは『足が棒になる』『目玉が飛び出る』『喉から手が出る』というような類の、よくある比喩表現ではなく、そのまんまの意味である。
 天龍は背後から、その両腕をマフラーのごとく僕の首に巻きつけてきたのだ。
 身体も遠慮なく僕の背中に密着させていた。
 そういう意味では、『絡んできた』と言うよりは『絡まってきた』と言ったほうが、あるいは正確なのかもしれなかった。

「なーあ、提督。何か提督の役に立ちたいんだよー。オレはこうみえて、頼りになる艦娘なんだぜ?なんでもいいから言ってみろって、オレにして欲しいこと。お役立つぜー?」
「ねぇよ。だからねぇよ。こんな朝っぱらから。」

 強いて言うなら邪魔をしないでほしい。
 今僕は次の演習の編成作業に忙しいんだ。
 そういう気持ちを込めて僕は首にかけられた天龍の腕を振り払う。
 どうせ遠征ばかりで出撃させてくれない僕に因縁をつけに来たに決まっている天龍をさっさと追い出そうと、ようやくのこと僕は振り向いて、そして———絶句した。

 言葉を失った。
 いわゆる言語を獲得する以前の人間の気持ちを痛感することとなったのだ。
 いやはや、衝撃である。

 目前にある物体を己が器量によって表現し得ないという事実が、ここまで生物の精神にストレスをかけるものだったとは。
 それでも、強いて。
 霊長類の誇りにかけて、強いて、目の前に広がる非現実的な光景を、何らかの言葉によって言い表してみよう。

 「えっと……。」

 天龍型1番艦軽巡洋艦
 彼女が制服ではなく、榛名や雪風が夏に好みそうな、ワンピースを着ていた。
 
 …………。
 
 前述の通り、天龍は戦闘が好きだ。
 彼女にとっての制服は戦闘服であり、いうなれば聖闘士にとっての聖衣である。
 その天龍が、聖衣を脱いで、ワンピースなる衣服を身につけていた。

 彼女の長過ぎる脚が。
 これでもかとばかりに強調されていた。
 下半身だけではなく、上半身にも同様の現象が認められる。
 腕長っ!
 足細っ!
 そして……そして。
 そして、誰だこのキレー系女子!?

 ナポレオン一世の言葉に、『人間は身につけた服装通りの人間になる』というものがあるが、その言にのっとって言うなら、今、この部屋、そしてこの鎮守府にいる天龍は、天龍でありながら既に天龍ではなかった。

 ごくり、と。
 僕は生唾を飲み込む。
 これはもう、無尽蔵の暑気払いだ。
 恐らくそれらは龍田の服なのだろう、ファッション雑誌にでも掲載されていそうな、いわゆるお洒落なトータルデザイン。
 ただ、如何せん天龍と龍田では着こなしに差がありすぎる。ワンピースの上部は前に出すぎているのか胸元は大きく開放され、ストッキングはおろか靴下さえも履いていないので、むき出しになったその長い生足は、僕に恐怖という感情を与えるのに十分だった。

「天龍……お前、いじめられてるんだったらまず僕に言えよ!そんな酷いことになる前に、どうして相談してくれなかったんだ!」
「いや、いじめられてねえよ。」
 激昂して椅子から立ち上がり、天龍の肩をつかんで揺さぶる僕を、なすがままに揺さぶられながらも、彼女は呆れ顔で諫めた。

「強いて言うなら、オレをいじめてんのは提督だ。」
「い、いや、だけど……だけど天龍、誰かに脅されなきゃ、お前がそんな格好をするわけないじゃないか!ああ、可哀想に……、制服以外のそんなキラキラした服を無理矢理着せられて、撮られた写メを艦娘裏サイトとかに流されたんだな……。」

 目の前が真っ暗になり、僕は頭を抱える。
 なんてことだろう。
 自分の艦娘がそんな辛い目に遭わされているのにも気付かず、僕はせっせと提督業務に勤しんでいたなんて……。
 自責の念が怒涛のごとく押し寄せる。
 気を強く持っていないと、今にも見境なく暴れだしてしまいそうだった。
 そんな僕をかろうじて支えるのは、そう、怒りの感情でしかなかった。
 それは自分に対する怒りであり、同時に世界に対する怒りである。

「安心しろ、天龍!僕が何とかしてやる!あとのことはこの提督に任せておけ!さしあたってはお前をいじめた奴の住所と電話番号を教えろ!しかるべき報いを食らわしてやる!」
「……提督って、時折砲撃より熱いよな。」

 やっぱ惚れるよ、と笑う天龍。
 柔らかな笑みである。

 むう。
 そのリアクションを見る限りにおいて、どうやら僕の推理は外れらしい。
 しかしそれ以外に、果たしてどんな可能性があるというのだろう。論理的にあり得ない可能性を排除することによって導き出される結論は、どれほどありえなさそうに見えても真実であると、かのシャーロック・ホームズ先生も仰っているではないか。
 それとも、何か見落としている可能性があるとでもいうのだろうか。
 うーん。
 大体、ホームズ先生の言うことも、消去法としてはかなりおおざっぱだよなあ。

「ああ!わかった、コスプレだ!」
「女子がワンピースを着るのをコスプレとか言ってんじゃねーよ……いくらオレでもちょっと傷つくぞ。」
「いじめでもコスプレでもないんなら、何だよ。」
「いや、ほら、可愛いかなーと思って。」

 あっはん!
 と。
 天龍は力強くしなを作った。
 色気のかけらもねぇ。
 むしろ見事なる拳法の型のようだった。
 体に軸を作って腰を捻れば、それはそうなって当然なのだが。

「し……しかし、可愛いかなって言われても。」
「可愛いだろ?」

 凄まれた。
 しなを作ったポーズのまま。
 よく見ればバランス的には相当キツそうな、無理のある姿勢ではあるのだが、その辺りはさすがの身体能力という感じである。
 ちなみに提督としての沽券にかかわる話なのであまり大っぴらにしたい事実ではないが、艦娘から本気で凄まれると超怖い。
 僕はさりげなく目をそらしつつ、

「か、可愛いなー」

 と言った。

「…………。」

 同じポーズのまま凄み続ける天龍。
 うわ、マジで怖い。
 身体が自然に、がたがた震える。

「可愛いな、可愛いな、超可愛いな。」

 繰り返して言う僕である。

「…………。」

 訪れる沈黙。
 気まずさフルポイント。
 しばしあって、

「へへへっ!」

 と。
 あろうことか、天龍が僕に飛びついてきた。

 艦娘が飛びついてきた、と言えば、それはどうだろう、あるいは可愛らしさを連想するかもしれない。
 しかしそれは事実に反する。
 偽りである。
 ほら、動物ドキュメンタリーか何かで、アフリカとかにいる野生動物の狩りの様子とか見れたりするよな?
 一連の天龍の動きはまさにそんな感じだった。
 敏捷にして俊敏。
 踏み込みの一歩目からトップスピードである。
 交通事故などでありがちな話だが、本当に身の危険を感じた時、人間の身体はむしろ硬直してしまう。いや、たとえ硬直していなかったところで、天龍からのアタックを交わすことなど、できるわけがないのだ。

 果たして天龍は。
 体当たりの如く、真っ向から飛びついてきた。
 日々深海棲艦と死闘を繰り広げている艦娘の体当たりである。絶命こそしなかったものの、絶息するには十分の衝撃だった。
 そんな僕の肺臓周辺の状態にはちっとも構わず、先ほど後ろから腕を絡めてきた天龍は、今度は正面から僕の首に腕を回したのであった。
 密着である。
 密着24時である。
 いや、24時間も密着されてたまるか。
 つーか1分だってやだよ!
 このまま天龍の腕力で鯖折りでもかまされたら僕の胴体が神通(艦)の最後になりかねないのだから。
 これが戦慄でなくてなんだと言うのか。

「て、天龍……?」
「サンキューな!提督が褒めてくれて嬉しいぜっ!嬉しいぜったら嬉しいぜっ!よっしゃあ!」

 抱きついたままで。
 さらにぎゅっと抱きついて。
 天龍は溌剌とした声で言った。
 僕はますます戦慄した。
 戦慄のバーゲンセールである。

「……っ!」

 大変だ。
 天龍がデレた。
 いや、大変だっつーか、普通に変だ。
 そもそも最初からおかしい。
 何かして欲しいことはない、なんて言いざまは、たとえ暇潰しにしても天龍が言いそうなことではなかろう。
 暇だから潰してもいい?
 だったら出撃の催促で言いそうだけど(無用な出撃はさせないが。資源は有限である)。

「いやー、こうして提督に抱きついていると落ち着くなあー。やっぱ包容力のある提督は抱きつき具合が違うよなー。オレは使わねーけど、テンピュール枕とか、多分こんな感じなんだろうなー。」
「やめろ、気持ち悪い。ごめん本当に気持ち悪いから、離れてくれ」

 内臓強度が下がるのが分かる。限界が近い。
 なんとか脱出を試みる僕。
 しかしフィジカルで艦娘に敵うはずもなく、うまく逃げられない。
 周りを囲まれてしまった!関節周りを。
 これ腕力とかじゃねえな。
 なんというか、物理的にではなく構造的に拘束されている感じだ。

「なんなの?何かの腹いせなの?天龍、そのキャラはいったいどういうこと?」
 僕、天龍にいじめられるようなこと、何かしたっけな?
「なんだよ、喜べよ。可愛い艦娘がイチャイチャ懐いてやってんだからよ」
「可愛い艦娘って、自分で言うのか」
「提督がさっき可愛いって言ってくれたんじゃねーか。男に二言はねーだろ?」
「今のお前には一言もねーよ」

 いやさあ。
 まあ実際、意外性もあって、天龍のワンピース姿とか、ありっちゃありなんだけどさあ。

「なんなんだよ。ちゃんと説明しろよ。お前がやってることが何なのかじゃなくて、お前が何なのかってところから、理路整然と説明しろ」
「何って言われても……、うん、これからは提督には絶対逆らわない提督ラブ勢というキャラとして売っていくことにしたんだ」
「売ってこられても買わねえよ!あとそれ、金剛とかとキャラ被るから!」
「金剛」

 と。
 すいっと__突然、天龍が僕から手を離した。
 手錠が外された時のような清々しい開放感を覚える僕(実は海防艦にちょっかいを出した時に経験済みなので、これは実感に基づくリアルな話だ)__から、天龍は三歩下がって距離を取る。
 三歩下がって師の影を踏まず。
 そんな感じ。
 ん。
 どうしたのだろう。
 天龍の表情がおかしい。
 おかしいのはやはり最初からおかしいが、今度はまともにおかしい(まともにおかしいと言うのも更に変な言い回しだけれど)。
 解放してくれたのは嬉しいが、天龍が急にしおらしくなってしまった。
 潮らしくなってしまった。
 僕がそんなふうに丁度いい例えを考えていると、天龍のほうから。

「金剛改二丙」

 と言ってきた。

「天龍……?」
「提督!お願いがありまひゅ!」

 意を決した風に、天龍は声を張り上げた。
 張り上げすぎて、語尾がやや甘噛みだった。
 しかしそこから先の天龍の行動の素早さは、そんな些細なミスを帳消しにしてしまうほどに迅速だった。
 正しく目にも止まらぬ早業。
 全身における縮地法だった。
 あるいは全身における二重の極み。
 素早くその場に正座、両手の平をそれぞれ45度の角度で、絨毯の敷かれた床にピッタリと隙間なく定位置のように移動させ、上半身をそれがまるであらかじめそういう風に駆動することを役目づけられたアタッチメントであるかの如く前屈、そして人体において最も硬い部位の一つであるところの額を、母なる地球に対し反逆の意を示すかのように叩きつけた。

 そう。
 平たく言えば土下座である。
 平たく言わなくても土下座だった。

「どうかこのオレにも改二の改造をしていただけないでしょうか!」
「…………」

 ああ。
 そうか。
 そういうことか。
 まるっきりキャラじゃねぇ、天龍のさっきからのらしからぬ不審な行動、身内でなければ警察か病院、あるいはまとめて警察病院に電話をかけていたクラスの不審な行動に、これでようやくのこと説明がついた。

「お願いします、提督!いやさ、提督様!」
「いやさとか言うな……」
「ほいさっ!」
「いい返事だけどな!」

 突っ込む代わりに天龍の頭を靴で踏んだ。
 土下座する艦娘の頭をぐりぐりと踏みにじる提督の姿がここにある。
 さっきまでビビらされたお返しである(ビビってないけど!)。

「いっやぁ〜。提督に踏まれて光栄だなぁ〜」

 地面を向いたまま無抵抗でそんなことを言う天龍の声に、少なからず殺気を感じた僕はゆっくり足を離すことにした(ビビってないけど!)。

「お前、簡単に土下座なんかすんじゃねぇよ。言っとくけどな、土下座なんて現代社会においては一種の暴力だからな」

 恫喝外交みたいなもんだ。
 その頭を踏んでおいてなんだけど。

「わかった!靴舐める!爪先から踵まで丁寧に舐めるから!」
「だからそういうことをやめろっつってんだよ!」
「ぬぅっ!」

 天龍は僅かに顔を起こして僕を見る。
 地に伏せた姿勢から僕を見上げる。
 瞳の中がメラメラ燃えていて、立ち塞がる困難に対してやり甲斐を感じている、とてもいい顔つきだ。

「わかった!じゃあ処女やる!提督にオレの処女やるから!」
軽巡の処女なんざいるか!」

 僕は天龍の顔面を蹴り上げた。
 艦娘に対して暴力が許される局面というのが、現実には存在するのだ。

 「ぐおっ」

 と、さすがに土下座の姿勢を崩す天龍。
 それでも、さすがと言うならば、足を折りたたんだままで咄嗟にバックに飛んで、衝撃を後方へと逃しているほうがさすがだった。

 「……天龍。お前今は勢いでやってるからいいだろうけどな。10年後とか、お前が精神的にも成熟した大人になったとき、僕に対して土下座したこととか、絶対に重い思い出として思い出すことになるからな。言っとくけど僕はお前から土下座されたこととか一生忘れないぜ」
「ふっ。提督。10年後より、まずは今日だろ。今日を生き抜けない奴に、どうして明日がやってくるんだ?」
「台詞はカッコいいけどな」

 それで行き着く先が土下座かよ。
 情けねえっつーの。
 今日土下座する奴に、どんな明日がやって来るんだよ。

「一応気にしといてやるけど、天龍。お前、外じゃそんなことしてねえだろうな」
「するわけねーだろ。オレ、水雷戦隊の憧れなんだから」
「…………」

 まあ、そうなんだよな。
 特に第六駆逐艦とかからすごい慕われてるんだったな。羨ましい。

「オレが土下座する相手は、提督だけって決めてんだ!」
「僕に土下座を決め打ちすんな」

 迷惑すぎる。
 しかしまあ、こうして天龍が折り入って、普段は好まないワンピースを着るなど、粧し込んでお願いに来るというのは、それ相応、それ相当の決心を必要としただろう。
 ふうむ。

「しかし、龍田の奴、よく服を貸してくれたな。お前が着たら服がボロボロになるかもしれないってのに」
「あぁ。だからこっそり借りたんだ」
「…………」

 あとで怒られるぞー。
 あいつの方が怖いんだから。

「提督に褒めてもらっておいてなんだけど、やっぱワンピースってのはどーもオレの性に合わねーな。蹴り足が隠れるのは良いかもしれねーけど」

 龍田の服を勝手に持ち出しておきながら、随分な言い草である。
 龍田怒りレベル2くらいか。

「それで、提督。お願いのとおり、オレを改二にしてくれねーかな?」
「改二ねえ……」
「自分で言うのもなんだけど、きっと改二になったら今以上に大活躍出来ると思うんだよなー」

 手を頭の後ろで噛んで口笛を吹きつつ、独り言のようにそう言いながら、チラチラと僕の方を見るようにする天龍であった。
 どうやらさりげなさを装っているらしい。
 うざいなあ。
 口笛をちゃんと吹けるのもむかつくなあ。
 でもまあ、単純に火力上昇を考えたら改二にするべきなんだろうよ。
 ……ただし。
 ただし、正直言って、僕は天龍を改二にするつもりはないのだ。
 頑なに。
 改二にしたくない理由がある。
 それは天龍の、今もって天龍を改にすらしていないままにしている、「弾薬燃費最高」というアドバンテージが故の__理由である。

「天龍」
「どうした、提督」
「諦めろ」

 ざくぅ。

 僕の腹部がありえない音を立てた。
 地面にスコップを突き刺したような音である。
 天龍は容赦なく提督に武力を行使したのだった。
 肋骨の隙間を通すかのような、瞬間の貫手である。
 肝臓が無くなったかと思った。

「さあ、提督。話し合おう」
「…………」

 ちょっと待て、しばらく喋れない。
 痛いとかじゃねえぞ、これ。
 普通に声が出せない。

「可愛い艦娘の頼みが聞けねーってのかよ。だったらオレにも考えがあるぞ」
「ぐ……ぐぐ」

 発想がもう本当チンピラだよな。
 お前に考えなんかねーよ。

「ど……土下座が駄目なら、迷わず武力とか……ありえない……」

 かろうじて声が出せるようにこそなったものの、横隔膜の震えは如実に内臓に響くので、突っ込みというのにはやや痛々しい、切実な響きの声音となってしまった。

「ぶっちゃけありえない……」

 痛々しさをカバーしようとセリフを付け加えてみたが、残念ながらより痛々しい結果になってしまった気もする。
 まぁ、初代が一番好きだったという話だ。

「ありえない?じゃあどうしろっつーんだよ、提督。話し合い以外に、オレの念を通す方法があるってのか?」
「お前にとって話し合いっていうのは殴り合いのことなんだよな……」

 いつか誰かが言っていたことだが、人間文化的に見れば、殴る蹴るというのも確かに一種のコミュニケーションツールらしい。だけどそれは、互いの武力が拮抗している場合の話だろう。一方的な武力行使は、コミュニケーションとして用を成すまい。

 さて、ここで話を整理しよう。
 整理整頓はきちんとしようと、僕は士官学校で教えてもらった。
 だから整理整頓だ。
 天龍の目的は、自身を改二に改造してもらうこと__正確には、改を経て改二に改造してもらうこと、か。
 この目的は、ガッチリ固定されている。
 微動だにしないほどの固定。

 提督としては、艦娘たちが何か目的をもって行動したときは、その目的達成のため、万難を排して協力してやりたいと考えている。
 しかし、 しかし__今回に限りそれはできない。

 燃費効率を下げたくない。
 兵站を管理する提督の立場上、絶対的に改に改二にしたくない。
 それが僕の立場。
 提督の目的である。

 この二者の間に妥協案はない。
 完全に対立してしまっている。
 つまり、1か0かというオールオアナッシングの問題で、どちらかが主張を曲げるしかないのだけれど__そして僕が意を曲げる気がない以上、僕は天龍の志を曲げるしかないんだけれど、しかし、どうしたもんかなあ。

 殴られたら負けるわけだし。
 フィジカルで勝てるわけねえし。
 まあ、本当に厳密に言うならば、提督権限を全面的に利用してしまえば、負けることはないのだけれど__それは覚悟を決めてきた艦娘に対する提督のやり方としては反則の部類だろう。

 どの道、話し合い及び殴り合いで、解決するのは無理だ。
 他人事の様に言わせてもらえれば、僕も、どれだけ殴られようと自分の主張を変えることはないだろうしな。
 艦娘の暴力ならば、すべて受けきるくらいの度量はあるつもりだ。
 これでも一応、提督だから。

「……なら、勝負しないか」
「あん?」
「揉めたら勝負だろ。こういう場合は」

 言っとくけど対等じゃねーぞ、と僕は言う。

「今回はお前からの一方的な要求なんだからな、天龍。ゲームで言うなら、子と子じゃなくて、親と子の勝負だ」
「……へえ」

 ぎらりと。
 天龍の声のトーンが変わった。
 勝負という言葉に反応する加速度センサーが、天龍の中には組み込まれているのだ。

「いいぜ。それでいこう。提督も分かってんじゃねーか。ああ、どんなルールでも好きに決めていいぜ。オレは改二になるためになら、どんな試練でもクリアする」

 相変わらず単純な奴だ。
 単純すぎて、見ていて鳥肌が立つ。

 けど、どうしたもんかな__どんなルールでも好きに決めていいと言われたところで、あんまりハードな勝負を課すわけにはいかないんのだよな。
 卑怯とか姑息とか、そういうものには必要以上に反感を覚える艦娘である。
 ぎりぎりクリアできるラインのルール、かつぎりぎりクリアできないラインの条件という、一見フェアっぽい、公平感のある設定が要求される。
 咄嗟には思いつかない。
 ……そういう意味じゃ、僕の方がよっぽど厳しいよなあ。
 ハードだし、グレートだ。
 勝負する前からここまで弱気になるのもなんだけれど、諦めて明石のところに連れてって、さっさと改二にしてやった方が早いかもしれないなあ__ん。

 んん。
 そうだな。

 話の中心は改造なのだ。
 だったらここは、工廠の長である明石流のスタイルで行くというのも、妙案かもしれない。

「ちょっと待ってろ。道具を用意する」
「道具?なんだよ。トランプでも用意するつもりか?それは卑怯だぞ!」
「なんでトランプが卑怯なんだ……」
 知的ゲームに弱すぎだろ。

 安心しろ。そんな手は使わん。
 それじゃお前が負けを認めないしな。
 できそうでできない勝負でなければ、意味がない。
 お前はこれから地獄を見るのだ。
 2017年の夏に僕が体験したのと、同等の地獄をな!

 僕は天龍を執務室で待たせて、洗面所へと向かった。目的のものをすぐに見つけて、それを手に取り、執務室へ戻る。

 戻ると天龍がソファに寝転んでいた。
 自由だよなあ、こいつ。
 足を大胆におっぴろげて、パンツ丸見えだし。
 ていうかこの馬鹿軽巡、下着まで龍田のものを拝借しているようだった。
 いくら姉妹でもそれはダメだろ。

「お、提督。早かったな」
「隙を見て寝ようとしてんじゃねえよ」
「ん?提督、その手にしているのは?」

 天龍は目敏くそう言って、起き上がった。
 目をこすっているところを見ると、寝転んでいただけじゃなくて本当に眠っていたらしい。
 野生動物かこいつは……。
 いや、戦争部隊だったらそうもなるのか。

「オレの歯ブラシじゃないか」

 その通り。
 僕が洗面所まで行って持ってきたのは、天龍が使っている、柄が紫で気先が細めの歯ブラシである。
 反対側の手には、忘れずにちゃんと歯磨き粉も持ってきていた。

「ま、まさか、提督……」

 天龍が珍しく怯えた表情を見せる。
 心無し、青ざめているほどだ。
 む。
 勘のいい奴だ。察したのかもしれない。
 さすが野生動物、もとい、戦争部隊。
 せっかく驚かせたかったのに、なんだかつまらないなあと思っていたら、天龍が、

「……その歯ブラシをオレの尻に突き立てるつもりか!」

 と、震える指で僕を指差した。

 …………。

 僕が驚かされたわ。
 心ありありと青ざめたわ。
 なんだよ、そのあり得ない発想……。

「さすがはオレたちの提督だぜ、恐ろしいことを考えやがる!」
「いや、お前たちの提督はそんな恐ろしいことは考えない……」

 買いかぶるな。
 僕はそこまでの男じゃねえよ。

「そうなのか?けど、このまえ龍田が、駆逐艦にしつこくつきまとっていた深海棲艦にそれと似たような制裁を加えてたぜ」
「こえーっ!」

 龍田超怖え!
 いやまあ、言われてみれば確かに、龍田の考えそうなことではあるけれども!
 確かに、天龍の発想じゃねえよなあ。

「ま、オレも少しやり過ぎだとは思うけどな。えっと、話がそれたな、提督。尻に突き立てないとするなら、その歯ブラシ、何に使うつもりなんだよ。歯ブラシに尻に突き立てる以外の用途なんかあるのか?」
「……」

 嘘だよな?
 その台詞だけ取り上げたら、深海棲艦よりお前のほうがよっぽど危険だ。

「知らないのか、天龍。歯ブラシってのは、歯を磨くための道具なんだぜ」
「お、おう。そういえばそうだったな。けど提督、それがどうしたってんだ。別にここで歯を磨けっていうわけじゃねーだろ?」
「そう、そんなことは言わない」

 僕は頷く。

「磨けなんて言わない……磨くのは、僕だ」
「ん?」
「それも僕の歯を磨くんじゃねーぜ。お前の歯を、僕が磨くのだ」
「…………?」

 天龍が首を傾げる。
 どうやら、まだ事の重大さを把握できていないらしい。

「いや、わけわかんねーんだけど……提督がオレの歯を磨いてくれるのか?なんで?まあ、したきゃすればいいと思うけどさ……それがどうして勝負になるんだ?」

 きょとんとした感じの物言いの天龍。
 ふふふ。
 そんな陽気な表情を浮かべていられるのもあと数分だと思うと、心の底から愉快だな。

「お前とか龍田とか、美容室で髪切ったりするだろ。だけど僕は、ああいうの、結構抵抗があるんだよ。知らない人間に頭触られるって、変に緊張するっていうか」
「……うん。ま、わかるけど」

 オレだって行きつけの美容師さん以外には切ってほしくねーよ、と天龍。

「心理学的にも、髪の毛を触るってのはかなり親密な間柄じゃねーと許されないことらしくってな。女子とかにゃー身体触られるよりも髪の毛触られるほうが嫌だって奴もいるそうじゃないか」

 龍驤がそうだった。
 奴の左右のツインテールをつかんでハーレー・ダビットソンごっこをして遊んだ際、ビックリするほど怒られた。
 あの龍驤から標準語で怒られた。
 まさかあそこまで激怒するとは……。
 さすがに反省したことは記憶に新しい。

「うん……で、それが?」

 先の展開が読めない状況というのがどうやら不安になってきたらしく、天龍の声がやや慎重味を帯びてくる。
 警戒心は一流だ。

「タッチングって言ってな__まあ一番わかりやすいのがその散髪ってやつなんだけど、そういうのって色々あるじゃん。専門職以外の人間に全身マッサージとか任せられないだろ。そういう話」
「そういう話……」
「そういう話の一つが、歯磨きなのだ」

 僕は言った。
 わざわざ講演会風に、いったい僕は何を言っているのだろうとも思うけれど。

「お前はさっき気軽に捉えたようだが、歯磨きを他人に任せるという経験は、通常ありえるものじゃない。散髪屋らマッサージやらと違って、普通は自分でできるし、自分でやるもんだからな」
「……」
「つまりだ、天龍__他人に歯を磨かれる行為にはかなりの心理的抵抗が生じるってことなんだ。その心理的抵抗に5分間耐えることができたらお前の勝ちということにしてやろう。その時は改二に改造してやる。5分以内に音を上げたら僕の勝ちだ。そのときは改造しない」
「……ははっ」

 僕の提示したそのルール、その条件。
 その勝負に__天龍は笑った。
 安心したように笑った。
 いや、それはむしろ、肩透かしを食らったと言いたげなくらいの、気の抜けた笑顔だった。

「なーんだ、提督があまりにも改まって言うから、さすがのオレもちょっとビビっちまってたぜ。ちょっとがっかりしたくらいだな」
「そうか?」
「ああ。むしろ望むところと言いたいくらいだ。そりゃ、想像してみるに、まったくの赤の他人に歯磨きなんてされんのは嫌だけどさ、この場合はやるのが提督なわけじゃん。だったら別に平気だよ」

 むしろオレの歯を磨かなきゃなんねー提督のほうが屈辱に耐えきれず途中で音を上げんじゃねーの、と天龍は言う。

「はっきり言ってオレ、提督には何されても恥ずかしくねーよ」

 なんて、
 提督をナメた余裕の発言さえ繰り出された。

「…………」

 くくく!
 罠にかかったな!
 ナメた発言さえ心地よいわ!
 お前が屈辱に屈しないことは想像がつく。
 こっちは何年お前の提督をやってると思うんだ。
 何を隠そう、艦これ始まって10周年になろうとしてるんだぜ!

「じゃ、勝負開始でいいな。そこ座れよ」
「あいあい」

 ソファに腰掛ける天龍
 気遣いも何もないから、その動作に対してワンピースが捲れ放題である。
 慣れていないというのもあるのだろうけど、やっぱお前はワンピースとか着ない方がいいよ。
 そんなことを思いつつ、僕もその隣に座った。
 お隣さん。
 歯ブラシに少なめに歯磨き粉をつけて、身体を捻り、天龍の後頭部に左手を添える。

「あーん」
「あーん」

 口を開かせ、そして歯ブラシを差し入れた。

 さあ。

 その身をもって、偉大なる明石先生の恐怖を味わうがいい。

「も……もぐぉっ!?」

 天龍がようやく己の陥った危機的状況を把握したらしいのは、勝負開始からおよそ1分が経過したときだった。
 表情に異変が走る。
 異変というより、それは激変。
 これまで見たこともないような。驚愕と__そして恍惚の表情である。

「ひ……ひうぐ、ぐ、ぐうっ!?」

 今頃気付いたか。
 しかし手遅れだぜ天龍。
 火蓋はもう切って落とされたのだ。

 そう。
 ミスディレクションとして美容院とかマッサージの話とかをしたけれど、歯磨きはそれらとは一線を画する。
 何せ口の中をいじるのだ。

 身体の外側ではなく、身体の内側をいじるのだ。
 身体の表面ではなく、身体の内面をいじるのだ。

 それについて身も蓋もなく、非常にわかりやすくいってしまうと__快感が生じるのである。
 要するに。
 気持ちいいのだ。

 歯を磨くという行為はあまりに日常的過ぎて、慣れてしまっているがゆえに意外と見落としている__僕も明石から言われるまでは、ついぞ思ってもみなかったことだ。
 だが、厳然たる事実である。
 そもそも、肉体のデリケートな部分を、細池先で撫でまわすというのだから、たまったものではないはず。

 天龍は根性者。
 苦痛や屈辱では折れない。

 だからこそ逆に、このように快感を与えて甘やかしてしまう方が、その心を折るには効果的なのである。
 根性は快楽によって折れる!

「ぐ、ぐ……ぐぐぐっ」

 奥歯の内側、歯と歯茎の境目あたりをしゃこしゃこと重点的に磨いてやると、天龍は敏感に反応した。身体がびくびくと痙攣している。
 白目を剥きかけてさえいた。
 ……これは別の意味で怖いな。

 僕も試すのは初めてだったが、しかし偉大なる明石先生のアイデアはやはり恐ろしかった。
 恨むなよ、天龍。

「ひ、ひう……はう、はう。う・・・・・ぐ、はぁ、はぁ」

 しかし__
 僕は見誤っていた。
 天龍という艦娘の桁外れの根性を。
 快楽によってさえ折れない、蛙のようなド根性を。

 二分を待たずして音を上げると思っていた天龍は歯を食いしばって__いや、歯を磨いているからそれもできないのだが(それも身体が弛緩してしまう理由の一つである)__僕からの攻撃、口撃、甘やかしに対して、辛抱強く耐え続けていた。
 こうなると、提督から快感を与えられているというエロ同人みたいなシチュエーションに、ただならぬ背徳感さえ覚えているはずなのだが、むむう、やるじゃないか。
 
 こうなるとこっちもやる気になる。
 僕は(やや反則気味だが)天龍の舌を磨きにかかった。
 しかも舌の裏だ。
 もうむき出しの肉と言っていい部位である。

「さっさと音を上げた方が楽になれるぜ、天龍__いや、楽じゃなくなれるぜ!」

 くすぐり地獄みたいなものだ。
 いずれ耐えきれるものじゃない。
 どうせあと1分が限度ってところだろ!

「……っ!な、何ィ!?」

 が。
 あと1分が限界だったのは__むしろ僕のほうだった。

 明石の奴はきっと、そんなことは口に出すまでもなく自明だと言わんばかりに、わざわざ言わなかっただけなのだろうが__この勝負には、大きな穴があった(そもそも明石にとってこんな行為は勝負ではないはずだけれど)。

 歯を磨かれる方の心理ばかりをクローズアップして僕は考えていたがゆえに、歯を磨く側、つまり僕サイドがどういう気持ちになるものなのかという重要事項を、まったく考慮しないままにこの勝負に臨んでしまったのだ。
 
 とんでもない失策である。
 取り返しがつかない。
 取り戻しようがない。
 何故なら……

「あふっ……ふ、うううっ。う……うんっ」

 …………。
 やべえ!
 喘ぎ声にも似た天龍の声を聴いてると、すげえ変な気持ちになる!

 ドキドキする!
 天龍のリアクションにいちいちドキドキする!
 なんだこの禁断のタブーを犯しているかのような複雑な心境!
 艦娘に快楽を与えているという背徳感!

 音を立てて歯ブラシを動かすごとに、天龍の口の中を泡立たせるごとに、天龍の歯ではなく自らの感性を磨いているような錯覚さえ感じる。
 自分ならぬ他人の歯を磨くことによって、逆に僕のほうが快楽を得ているだと!?
 人の役に立つのが嬉しいのか!?
 これが学校の先生が言うところの奉仕の心か!?
 いや多分違うけれど!

 まずい、本当なら汚いなあと思うだけのはずの、天龍の口の端から僅かに零れる涎にさえ、変な愛着を感じる!
 すぐにこの手を動かすのをやめないと、このままだととんでもないことになってしまう__そう思うのにもかかわらず、それがわかっているのにもかかわらず、僕の手は自分の意識を遠く離れ、まるで自動機械であるかのごとく(電動歯ブラシかよ)、その動作を止めなかった。

 むしろ動きはよりハードになった。
 意識すればするほどに。

 天龍の痙攣がより激しくなる__歯を食いしばれない代わりにだろう、彼女はソファの布地を固く握りしめているが、そんなことで抑えられるような痙攣では、それはなかった。
 顔なんか火が出そうなほどに真っ赤である。

「……うわ」

 思わず声が出てしまった。
 すんでのところで飲み込んだが__喉のところまで出掛かった続きの言葉は、僕自身を驚かせるものだった。

 うわ。
 すげえ可愛い。
 こいつをここまで可愛いと思ったことはかつてなかった。
 さっきワンピース姿を可愛いと褒めたのは脅されたからだけれど、そして今だって、間違っても可愛いなんて口に出して言うつもりはないけれど__しかし思ってしまった気持ちまでは取り消せない。
 一度流出したデータの回収は不可能だった。

 うわあ。
 うわあ、うわあ、うわあ。
 マジでやばいって。
 天龍ってこんな可愛かったっけ?
 あれ?
 あれあれ?
 ひょっとしてだけど、天龍って世界一可愛いんじゃねえ?
 今の今まで、僕の理想の艦娘っていうのは鵜来のことだと思っていたけど、それはひょっとして認識ミスだったのか?
 鵜来以上ってことはないにしても、それでもこいつは、鵜来といい勝負ができるんじゃ
……いやいやいや!
 待て自分!
 何を言っているんだ!
 鵜来と勝負できる軽巡なんかいるわけねえだろ!
 だから錯覚だ錯覚!
 この特殊なシチュエーションが僕を酔わせているだけ!
 わかってる、そんなことわかってる!
 で、でも__

「う、ううううっ」

 天龍と合唱するかのように、僕もまた喘ぎ声に似た声を発してしまった。
 こうなるとほとんど相乗効果である。
 自分が何をしているのかわからなくなる。
 僕の思考回路は、ひょっとしたら僕は天龍の歯を磨くために生まれてきた人間なのかもしれないとさえ考え始めていた。
 なんて頭の悪い思考回路なのだろう。
 歯磨きが、こんな恐るべきリターンエースのあり得る行為だったとは……僕は知らず知らずのうちに恐るべき禁呪に手を出してしまったらしかった。

 だが、全ては手遅れである。
 知らなかったでは済まされない。
 知らなかったでおしまいだった。
 如何ともし難い。
 最早、流れに身を任せるしかないのであった。

「て……天龍」

 たとえば煙草ってあるよな?
 口に銜えて火をつけて、煙を吸い込むアレ。
 肺癌になったり何だりで、人体に悪影響を与えまくる物騒極まりないアレだ。
 だけどもしあの物質が、吸えば吸うほど身体のあちこちが良くなっていく超絶健康食品だったりしたらどうだろう?
 果たしてこれほど普及したのだろうか?

 思うよな。
 あれは、身体を悪くするものだからこそ__
 いけないものだからこそ。
 これほどの規模で普及したのではないかと。
 今も普及をやめないのではないかと。

 やっちゃあいけないこと、しちゃあいけないこと。
 そういうものは、そういうものだからこそ。

 人を嫌というほど惹きつけて。
 人を嫌というほど魅せつけて。
 人を嫌というほど惑わせる。

 気が付けば。
 気が付けば__知らず知らずのうちに、僕は天龍をソファに押し倒していた。
 左手は後頭部に添えたまま。
 身体を乗せて、天龍を押し倒した。
 僕よりも力があるはずの彼女の身体は、しかし体重を少しかけるだけで__抵抗なくすんなりと、押し倒された。

 天龍を見る。
 天龍を見詰める。

 うっとりしているかのような。
 とろけているような。
 そんな天龍の表情だった。

「天龍、天龍、天龍……」

 天龍の名前を連呼する。
 そうするごとに、身体が芯の奥から熱くなるようだった。
 天龍の身体も、強い熱を帯びている。

「へ、へいほく__」

 焦点の定まらない瞳で。
 天龍は言った。
 
 口の中に歯ブラシを挿入されていることもあって、いやきっとそれがなくとも、呂律が回らないようだったが。
 それでも言った。
 それでも健気に、天龍は言った。

「へいほく……いいよ」

 何が!?
 何がいいの!?
 と、普段の僕ならきっとツッコミを入れていただろうけれど、しかしもう僕のテンションもぐちゃぐちゃに融けていた。
 
 ぐちゃぐちゃで。
 ぐちょぐちょで。
 じるじるして。
 じゅくじゅくして。
 うぞうぞして。
 うにょうにょして。
 ざくざくして。
 ぞくぞくしていた。

 僕は。
 僕は、天龍の後頭部に添えていた左手を優しく外し、そしてその手をそうっと、彼女の胸に伸ばして__

「……何してはるんどすか」

 と。
 無粋な。
 野暮な。
 艶消しな。
 いや、救済の声が割り込んだ。

 見れば、どうやら僕が開けっ放しにしてしまったらしいドアのところに、もう一人の天龍型、つまりは龍田が__唖然とした表情で立っていた。

 目を丸くして。
 口さえ丸くして。
 土偶みたいな感じで。
 唖然というか茫然である。
 開いた口が塞がらないというか。
 閉口している有様だった。

「提督さん、天龍ちゃん……何どすえ、この状況」

 何故か京都弁で言う龍田。
 しかもちょっと祇園っぽい。
 どうやら混乱しているらしい。

「ま、待て龍田……違うんだ!」

 僕は叫ぶ。
 いや。
 叫んだところで一体何が違うんだか。
 正直言ってみたまんまである。
 この状況を理解するほうが難しい。

「どうして提督が歯を磨いたりしてあげながら天龍ちゃんを慈愛顔でソファに押し倒しているの?どうして天龍ちゃんは私の服を着て提督からうっとり顔でソファに押し倒されているの?」

 どうやら標準語を使える程度には正気を取り戻したらしいが、その標準語で発せられたのは説明に困る質問である。
 丸くなっていた龍田の目が、やや通常の状態を形成していくが__それはジト目というかなんというか、丸い目が△の目になっただけのような気もする。

 龍田からのそんな白眼視は、僕と天龍を我に返らせるに十分だった。
 我に返ってみると。
 確かに龍田の言うとおりだった。
 つまり、説明に困る質問。

「うおっ!なんで僕、歯ァ磨いたりしたげながら天龍を慈愛顔でソファに押し倒しているんだ!?」
「なななななーっ!なんでオレ、龍田の服を着て提督からうっとり顔でソファアに押し倒されてるんだよおっ!」
「びっくりしたーっ!」
「びっくりしたーっ!」

 びっくりした。
 こんなに驚いたのは生まれて初めてだ。
 あ・ぶ・ねえっ!
 なんだこの超えてはならない一線!
 禁断過ぎる!

「「た……助かったぜ龍田!ありがとう!」」

 僕と天龍の声がシンクロした。
 いや、声だけではなく、体をねじって龍田に向ける指の動きまでシンクロしていた。
 一分の狂いもない。
 これがシンクロ競技なら間違いなく金メダルだ。

 しかしこの場合、動作がシンクロしたという結果は、悪い印象を龍田に与えるばかりで、何一ついいことがなかった。
 だって僕の身体自体は、いまだに天龍を押し倒したままなんだもん。

「ふーん……ふーん」

 果たして、龍田は。
 とても興味深そうに頷いた。
 もはや彼女の目はジト目でさえない。
 三角にしていた眼は、深く固く閉じられている。
 表情は無表情だ。

 僕と龍田は、先ほどまでとは違った意味でドキドキしていた。
 判決待ちである。
 ハラハラ。
 どろりとした塊のような汗が肌を伝う。

「……うん」

 で、龍田は顔を起こした。
 晴れ晴れとした顔つきだった。
 温情判決が下されるのか、情状酌量の余地ありか、せめて執行猶予くらいはつくものかと、僕と天龍はにわかに期待した。

「2人とも、ちょっとそのままの姿勢で待っててくれるかな?すぐに工廠に行って、51cm連装砲を借りててくるから」

 期待空振り。
 死刑判決だった。
 51cmって。

 にっこり笑ったままでにこりともせず、怒りレベル99の龍田は廊下に出て、ぱあん!と思い切り、破壊的にドアを閉めた。
 ドアの扱いは似た者同士のようだ。

「龍田!51㎝は積めないと思うよ!大和さんとかにお願いしなきゃいけないって!」

 廊下に向けた天龍の呼びかけは、そもそも的外れなものだったが。
 その声は完全に無視された。
 
 うわー。
 すっごい展開になってきた―。
 わかりやすく修羅場だ。
 どうするんだよ。
 どうするよりも、どうされるのかのほうが、この場合は課題かもしれなかった。

「……提督、重い」

 頭を悩ませている僕に、天龍が言った。
 僕は、

「ああ、悪い」

 と、天龍の上からどいた。
 天龍もまた身を起こし、めくれていたワンピースの裾を直す。
 ちょっと照れ臭そうだ。

「で、提督。勝負なんだけど」
「え?」

 勝負?
 なんだその意味の分からない単語は?
 植物の名前か?
 疑問に首を傾げる僕に対し、

「5分はとっくに経ってるぞ」

 と、天龍は続けた。

 言われて、ああ、そういえばこのイベントは、僕と天龍との勝負だったと、そもそもの趣旨を思い出し、僕は部屋の時計を確認する。

 確かに5分は過ぎていた。
 というか、15分が過ぎていた。
 そりゃ龍田に発見されもするわ。

「うわっちゃー……」

 しまった。
 負けてしまった。

 いや、単に負けたというよりは、ここは素直に天龍の根性を褒めておくべきだろう。
 素直に天龍に尊敬の意を示すべきだ。
 途中からは僕もはっきりと意識がなかったとはいえ、この極刑に耐えきるとは天晴れである。
 しかも15分。
 怪物的だ。

「はあ。じゃ、仕方ねえか……約束は約束だしな。オッケーオッケー、天龍。お前のこと、改二にしてやるよ」

 本当は気が進まないんだけどな。
 でもまあ本人が成りたいって言ってんだから、そもそも本来的には止める理由はないのだ。
 
「よく頑張ったな、天龍。お前の勝ちだよ。うん、今日のところは僕の負けだ。認めてやる」
「ん、ん」

 僕からの労いの言葉に、しかし天龍の反応は悪かった。
 どうしたのだろう。
 と、思っていると、天龍は、こほん、と咳払いをした。
 こほん、こほん。

 そんな風に、天龍はわざとらしい咳払いを繰り返して__大きな身体をキュートに丸めるようにして。

「て、提督」
「なんだよ」

「ま、まあ、もし提督がどーしてもっていうんなら、仕方ないから三本勝負にしてあげてもいいんだぜ」
「……」
「ほ、ほら、途中で龍田の邪魔が入っちゃったし。普通ああいうときはノーゲームじゃん?そ、それに、龍田が帰ってくるまで時間を持て余すし、気散じに延長戦に付き合ってやってもいいんだぜ」

 超さりげなさを装って。
 頬を赤らめながら提案する天龍。
 婀娜っぽい流し目である。

「えっと……」

 僕は。
 僕は、手にしていたままの歯ブラシを、密かに握り締める。

「じゃ、じゃあ……その、再戦を申し込んじゃおっ……かな?」
「お、おう。挑まれた以上、オレは、せ、せ背中は見せない……受けて……受けて、たつぜ!」
「こ、今度は親と子、変えてやってみるとか?」
「う、うん。そ、その方がフェアだよなっ!」

 互いに。
 互い違いに目を合わせないまま__僕たちは三本勝負へとなだれ込んだ。

 そんなわけで、今朝を境に。

 僕と天龍は、少しだけ仲良くなったのだった。


 あとがき、というかオタク特有の自分語り。
 初めましての方は初めまして、前回の記事をご覧になっている方はお久しぶりです、零崎疚識です。HNで察する方もいると思いますが、西尾維新が好きです。今年の2月に首を洗って待ってた甲斐がありました。京都大学艦これ同好会(以下、京艦同)では一期生に当たります。身分としてはすでに社会人で、仕事の合間にゲームをしているのですが、艦これ自体はちょうど去年の今頃からほとんどさわれていないです。艦これが面白くなくなったとかいうわけではないのですが、艦これよりも楽しいものがたくさん出てきたので、(ウマ娘とか、クトゥルフ神話TRPGとか、嫁とのデートとか)そちらに時間をとられている感じです。嫁艦は大鳳なので、大鳳改二が実装された暁にはまた戻って遊びたいなあと思っています。普段の主な活動拠点はツイッターで、日々京艦同のメンバーにクソリプを飛ばしているんですが、そんな中で「零崎さんの記事を楽しみにしています!」という後輩の期待の言葉をもらいましたので、3年ぶりに筆をとらせていただきました。前回書かせていただいた記事(2020-04-19)は京大っぽい短め(31文字)の記事だったので、バランスをとるために今回は艦これっぽい長めの記事を書いてみました。
 そんなわけで、本記事は偽物語のファイヤーシスターズを天龍型姉妹に置き換えた二次創作です。原作を読んでない方は買って読んでみてください、すごいので。なお、原作の阿良々木暦の火憐ちゃんに対する愛情は最新刊になるにつれておっと誰か来たようだ。
 最後に、ここまで読んでくださってありがとうございます。蛇足で申し訳ないのですが、来月嫁の誕生日があるので、気の利いたプレゼントの提案がある方はコメントに書いてくださるとうれしいです。特にない方は好きな寿司のネタでもコメントしてください。