京都大学艦これ同好会 会員の雑記ブログ

京都大学艦これ同好会は、艦これを通じてオタクとの交流を深める緩いコミュニティです。普段はラーメンを食べています。

藤井冬弥への所感(white album)

この随筆はwhite album(無印)のアニメに対するそそぐの感想です.具体的なネタバレはありませんが,抽象的なネタバレを含み,批評的性質を持つため視聴予定のある方は視聴後に読むことをオススメします.この随筆を読んでも読まなくても,white album2の熱狂的支持者も,私がいくら勧めてもwhite album(無印)を視聴する人ほとんど居ないので,そんなに気にしなくても良いかもしれません(投げやり).

The Year’s at the Spring

Robert Browning 

The year’s at the spring,
And day’s at the morn;
Morning’s at seven;
The hill-side’s dew-pearl’d;
The lark’s on the wing;
The snail’s on the thorn;
God’s in His heaven–
All’s right with the world!

「まったく世界はオーライさ」

春の朝の世界は瑞々しい生命力に満ちて,神に祝福された清々しさが心地良い.地に足をつけて未来を臨み,力強く感嘆符と共に口ずさむ.ところが,日本語をそっとあててみれば,世界が希望に満ちているほどにうら寂しさが募るようだ.未来を希望をもって臨む朝,眩しい世界の隅々が目に映るとき,私は未来に歩みを進めている.私の成長とともに去ることを決めた昨日は,私の記憶のなかにだけ微かに存在している.鮮やかな朝は世界の日常であって,過去の私をそっと憐れみつつ,駆け出してゆく.そんなことがあってもいい.成長は不可逆的なのだから.
ハッピーエンドほど罪深いものはなかろう.あんなに思い悩んでいた主人公はきっかけを掴んで未来を臨む.物語に浸っていた私ははたと目覚めるときがきて,朝日の心地よさは夢の終わりを感じさせる.物語へ私を誘った過去の煩いは,まるで悪夢のようでいて,霧中の安寧のあったことを知る.夜は明けて私は朝日の内に居る.
20年代の現在は,作中の1986年とも,アニメ放映の2009年とも少し違うかもしれない.情報に触れるのは大変容易で,相手との連絡に時間も空間も阻害剤とならない.たとえ待ち合わせに遅れても相手に会える安心がある.可能性に溢れ,努力さえすれば大概の望みは叶う.可能性を否定するのは私しかいないと,どこかで気付いている.しかし,今も昔も,自分を持て余した青年が明日に踏み出すときは,彼が可能性を捨てるときに等しい.

white albumの中心は間隙にある.予備動作と表情の豊かさは情報のすべてに意味をもたらす.豊かに命が吹き込まれた台詞は,敢えて伝えなかった言葉,伝えられなかった言葉,言葉の裏腹の感情すべてを内包する.言語化したら消えてしまいそうないたいけな心は,伝えようとするほどに言葉から零れて胸を軋ませる.展開,背景,台詞,歌,音楽……物語を構成すべく組み込まれたものの悉くが巨大で精緻で複雑な伏線の数々として寄与する.伏線といっても因果律ではない.私の感情で,彼女の感情で,阻むのが心であれば後押しするのも心で,交錯すれば事件が起きて心は連鎖する.さながら文学作品である.背景音楽でさえ,ひとつらなりの音楽として物語を持っている.事件はなんだって人為的なもので,人為的だからこそ温かい.すべては誰かの心に起因している.

なぜ私はwhite albumを求めるのだろうか.こんなにすれ違いが多く切ない話は他にない.心の温かな側面から目を背けたい側面に至るまで,すっかり晒して無垢にしてしまう.ひどく苦しい.けれど,きっとそれ故なのだ.私が感情を律しえず細やかな過ちを零せば,数々の人の心を震わせてたちまち跳ね返る.きっと羨ましいのだ.
一人暮らしとともに大学生として生きる私には,いつも孤独がつきまとう.私を規定するものはなく,私は規定されることから逃れた.大学生であるということは何者でもないということと同義で,自由であると言うことは,関心を向けられていないことと同義だ.大学に行くのも,人と会うのも,サークルに居るのも,就職するのも,生きることであっても,すべては私の選択なのだ.意識的に動かなければ何も起こらない.部屋の窓の外では社会が変わらず動いていて,私は朝起きて出かけて広い講義室の席に腰掛けなければ忽ち社会から堕ちてゆく.学生というのは贅沢な世間知らずであって,成人しているのに,社会に生かされながら何一つ還元していない.多くの人に支えられながら,実のところ私の生が私だけのものであるかのような傲慢に浸っている.解っている.理性をもって自分を律せば何だってできる.悩み事は解決の道筋をうっすら気付いているし,成績が悪いのは勉強しなかっただけだ.腹の調子が悪いのは寝不足が原因で,昨日の夜は課題の合間に艦これをしていたから寝るのが遅くなった.歩いて10分のコンビニにはサラダが売っていて,野菜ジュースもサプリメントもあって,お金がないと言いつつ先週末には浪費していた.気付いているなら今すぐやれと誰かが言う.その通りだ.気付いているのにやらないのは,故意の怠慢であって過失ではない.
一言,誰かが「可哀相に」とさえ言ってくれたらどんなに楽だろうか.
きっと,今の自分をそのままに認めてしまっても良いのだろう.その道に進んだ方が幸せかも知れない.しかし,ただひたすらに,諦めてしまった可能性を抱えて生きることの耐え難さに怯えている.過去を想いながら残りの人生を生きられるほど私は強くない.私は怠慢をひどく恐れる.怠慢の自責は一度抱えてしまえばどんな励ましも虚として流してしまうほど重い.せめて過失でなくてはならない.挫折から立ち直ることはできても,怠慢からは開き直ることしかできない.私は罪を重ねている.悩み事に安寧を求め,怠慢の言い訳に喜ぶ.
藤井冬弥はどこか私に似ている.疚しさに苦しんで相手から逃げ,新しい相手を求める姿は,過去の自分から逃げ続ける私に似ている.無理なのだ.立ち直れない弱さと寂しさを抱えているとき,私は相手の手を払える自信が無い.私がもっと幼ければ,頑なな正義感で拒絶できたかも知れない.私がもっと大人なら,冷静に私を対象化できたかも知れない.私がもっと強ければ,私の現在を見つめられたかも知れない.私がもっと冷たければ,相手に拒絶を伝えられたかも知れない.私がもっと我が儘なら,相手に私を委ねる前に彼女を求められたかも知れない.相手の心を抱えて生きるには私の心は弱く,相手の心に気付かないほど私の心は未熟ではない.責任も代償もそっくりそのまま私の元に返ってきて,抱えきれぬ現実を持て余している.どうして貴女はいつもその時に,私の傍に居てくれないのか.どうして貴女はいつもその時に,電話に出てくれないのか.大切な瞬間に彼女たちの伏線が絡み合って,少年の記憶は無意識の軛として私を縛る.
私は彼女を知らない.吹っ切れたように書き残した言葉の微かな未練を掴みあぐねて,私はそっと涙を流す.ただ切に,心を知りたい.
 
私が気付くとき,貴女はもう私の前には居ないのですね.
貴女を抱えて生きる心を,伝えられたなら.