京都大学艦これ同好会 会員の雑記ブログ

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#京艦同聖地巡礼部 艦艇終焉の地を訪ねて ~瀬戸内編~

どうも皆さま、お久しぶりでございます。78Pでございます。

え?誰だお前って?こんな記事を過去に出していたんですけども…

kukancolle.hatenablog.com

kukancolle.hatenablog.com

 

ご存じないですか、そうですか…上の記事は3年前、下の記事も一昨年書いたやつだししょうがないか

要はたまにこんな旅行をする人です。以後お見知りおきを。

 

さて今回は表題の通り、艦艇終焉の地に関わる訪問記を綴ったものになります。

海ばかりの写真になります。その点ご承知おきください。

 

さて、本稿は1945年7月24日からの第二次呉軍港空襲で被害を受けた艦の被弾位置、あるいは沈没位置を実際に訪問したものです。

なお近隣に慰霊碑があれば合わせて掲載します。

キャプション下の写真は特記がない限り、

※1:2020年11月撮影

※2:2023年4月撮影

です。

 

また個人的に感じた訪問難易度もつけておきました。車が使える前提です。

 

青葉

南方の戦闘で大破したのち、修理を待つためにこの付近で係留されていました。この時期のほとんどの艦艇に言えますが空襲下では浮き砲台として応戦していました。

付近の写真はこれしかありませんでした。横着せず海の近くに行けばよかったものを…何やってんだか。*1

慰霊碑前から海の方向を見る(※1)



呉市内から江田島方面へ国道487号線を南下していると、高架脇にひっそりと慰霊碑が建っています。

慰霊碑の揮毫は中曽根康弘によるもの。青葉の乗組員だった(※1)



訪問難易度:★

備考:呉市街地から倉橋島江田島方面に向かう場合は通り道になる(旧道は通らないため注意)。なお慰霊碑は側道沿いにあるため第二音戸大橋へ上がる高架には上がらないように。

榛名・出雲

江田島の北東部の沖合になります。

対岸は呉市狩留賀地区がよく見えますが、この付近では出雲の姉妹艦、磐手が大破沈没した海域になります。

出雲・磐手とも日露戦争で活躍した巡洋艦ですが、太平洋戦争下では前線を外れ主に内地〜中国大陸方面への任に就いていました。

正面が榛名、左側が出雲、右奥が磐手の位置に当たる(※2)



近くの丘の上にある江田島公園に慰霊碑があります。

慰霊碑は出雲、榛名両艦の合祀となっている(撮影:2020年2月)

訪問難易度:★

備考:付近の小用港はフェリーターミナルなので駐車場が十分整備されている。防波堤は関係者以外立ち入り禁止(釣り人が普通に入って行っているが…)。慰霊碑は少し離れた山の上にあるが小用港から徒歩でも十分訪問可能。

狩留賀地区は未訪問。付近の狩留賀海浜公園駐車場は夜間閉鎖のため、訪問される際は駐車場の開場時間要確認。

 

大淀

Y字に似た形の江田島ですが、その分岐の付近(江田島湾の最奥部)が大破横転した海域になります。

1945年3月の第一次呉軍港空襲で大破し、この付近まで曳航され浮き砲台として第二次呉軍港空襲で応戦しました。

正面奥は海上自衛隊第一術科学校、旧海軍兵学校である(※1)

 

慰霊碑とお堂があり、近くに模型も展示されています。この付近では利根に次いで整備されていると言えます。

慰霊碑(※1)

模型はおそらく1/150スケールと思われる(※1)



訪問難易度:★★

備考:慰霊碑のある所に行くには牡蠣工場の敷地を通る必要あり。操業中は一言声をかけるべき(筆者訪問時は休業していました)。

また付近に駐車場はない。

 

利根

大淀の慰霊碑から3kmほど北西側になります。付近に軍艦利根資料館があるのでご存知の方も多いでしょう。

利根大破着底の地、中町港(撮影:2020年2月)

資料館保有終戦時の写真のパネルを重ねて(※1)

 

軍艦利根戦没者慰霊碑(※1)



訪問難易度:★

備考:軍艦利根資料館は2021年11月から不定期開館に変更されている。開館日はTwitterに記載あり。

twitter.com

 

北上

倉橋島の南西部の入り江にあります。北上は終戦後復員工作艦として鹿児島に曳航されたため、空襲を受けて大破した地点ということになります。

重極湾全景。写真ほぼ正面で大破したものと思われる(※2)



海域西隣の重生地区に慰霊碑があります。地域の戦没軍人の中にひっそりと建てられています。

軍艦北上慰霊碑。付近まで車が乗り入れられる。(※1)



訪問難易度:★★~★★★

備考:倉橋島は北部以外道路が狭く、アクセス道路になる県道283号線も1.5車線の道である。意外と交通量が多いため注意して運転されたい。またこの記事の中では他と比較的離れたところにある。

慰霊碑と重極湾は2kmほど離れている。

 

伊勢

倉橋島の北東端に近い海域です。

高台から終戦の地を望む。概ね正面の湾内になる(※1)

建物の陰で目立ちませんが慰霊碑もあります。姉妹艦日向は島を挟んで反対側で大破沈没しましたが(後述)、ここで合祀されています。

慰霊碑は戦後の引き揚げ完了を記念したもの。奥の観音菩薩像も伊勢の慰霊のものである。(※1)

 

訪問難易度:★

備考:呉市街から第二音戸大橋を渡った先のパーキングから向かえる。

 

日向

倉橋島の東の島に浮かぶ情島、その西側の沖合です。

島自体は未訪問*2ですが、倉橋島の大浦崎公園から望むことができます。

大浦崎海岸より撮影。右奥が情島(※2)



大浦崎公園は特殊潜航艇「甲標的」の生産工場*3跡地です。当時の遺構が所々に残っています。また時間不足で訪問できませんでしたが特殊潜航艇搭乗員をしのぶ慰霊碑が近くの神社にあります。

P基地の紹介碑文。子供たちのはしゃぎ声が聞こえる公園だが、この辺りは公園の外れになることもあり目立たない(※2)

P基地の一部をなした非常用発電機室。内部にも立ち入ることができる。(※2)




訪問難易度

情島:★★★★★

大浦崎公園:★

備考:情島へのアクセスは阿賀港からのフェリーのみ。2往復/日だが日帰りできるのは阿賀12:30~情島12:55/14:30~阿賀14:55に限られる。日祭日運休。

大浦崎公園は呉~江田島の最短経路からは外れるがアクセスは良好(第二音戸大橋を通ると回り道になるため、青葉・伊勢の慰霊碑を訪問に組み込む場合は注意)。特殊潜航艇の碑は公園から少し離れた波多見八幡神社内にある。

 

樫(2代目)

倉橋島南西部の本浦地区にあります。空襲での損傷が比較的軽かったため終戦後は復員輸送の任についていました。

付近は入り江になっており、遣唐使の潮待ちとしても使用された非常に歴史の長い海域である(※2)

慰霊碑もあります。

呉軍港空襲時点では第二水雷戦隊は既に解隊されている。樫が第二水雷戦隊に所属したことはないので、この碑文は正確には誤りと思われる。(※2)



訪問難易度:★★~★★★

備考:呉方面から向かう場合、手前に地蔵が何柱かあるのでそこと間違えないように。

北上と同じ県道沿いにあるが一旦県道35号まで戻ったほうが楽だと思われる。

 

梨(2代目)

広島湾の入り口からやや西側、山口県柳井市の沖合に浮かぶ海域になります。

僚艦の萩とともに人間魚雷・回天の目標艦として訓練の任についていましたが、呉軍港空襲の際に大破沈没しました(萩は小破)。梨は戦後引き上げののち、海上自衛隊護衛艦わかば」として再就役したことで知られています。

慰霊碑から海を望む。左奥の島は掛津島(※2)

島内北部の道路沿い、沈没海域を望む海辺に慰霊碑があります。

慰霊碑にはこの地とのかかわりも記されている。ところで慰霊碑入り口に「日米海戦古戦場跡」の碑が建っているが、果たしてこの表現は正しいのだろうか?(※2)

 

付近に砲弾がありますが何の砲弾かは分かっていません。

海を背にして慰霊碑右の茂みに埋められて?いる(※2)

 

訪問難易度:★★★★★

平郡島へのアクセスは柳井港からのフェリーのみ。島内には東港・西港があるが理由がなければ東港からのアクセスを強く推奨。(東港から慰霊碑まではおおむね平坦な道だが、西港はアップダウンの激しい道が続く。)

日帰りは柳井8:30~平郡東10:10/14:00~柳井15:40に限られる。港からは5kmほど離れているため徒歩では慰霊碑を往復するだけになる可能性が高い。

自転車なら島内の見どころである五十谷三島や蛇の池も見る時間があるが、どちらも島内の山を越えなければならない。*4

swarmのスポットがなかったので作りました(※2)

 

以下は沈没海域付近に慰霊碑がない艦の紹介になります。

 

龍鳳

先述の榛名・磐手の海域から南に5kmほどの海域になります。

江田島北東部は運が良ければ護衛艦の出入りが見える(右奥の艦は不明)(※2)

 

訪問難易度:★★★

備考:国道487号→県道298号秋月トンネル以外は狭隘道路のアクセスになる。特に南側(倉橋島方面)は大型車通行困難の標識があるほど。

また参考サイトでは誤った情報を示しているため注意(後述)。

 

鳳翔

その龍鳳からさらに4kmほど南側になります。

終戦時の位置は(おそらく)写真左奥と思われるが自信なし(※1)

 

訪問難易度:★

備考:倉橋島~旧海軍兵学校の経路からわき道に逸れたところにある。

 

天城・葛城

倉橋島の北にある三ツ小島に係留されていました。北側が葛城、南側が天城です。

奥側が天城の係留地点である。空襲時点では倉橋島と三ツ小島をかける橋に擬装されていた(※1)

右奥の白い塊が切れたあたりがが葛城の係留地点になる。(※1)

 

訪問難易度:★(三ツ小島は測定不能)

備考:三ツ小島は製塩工場になっているため上陸できない。

島そのものは塩で白く目立つこともあり倉橋島呉市街からよく見える。旧渡子小学校付近の漁港から比較的近く見える。

 

阿蘇

雲龍型の未成艦です。

倉橋島南東部の海域とされていますが、空襲によって自沈したとも、特殊潜航艇などの特攻兵器の標的艦として沈没したともいわれ原因も地点もはっきりしていません。

広島特有の牡蠣筏が多数浮かんでいる海域である。正面が情島なので、日向の大破着底の地も望める(※2)



近くには特攻兵器の訓練基地、通称Q基地の遺構もありますが未訪問です。

 

訪問難易度:★★★★

備考:周辺道路はかなり狭隘である。特に西側(呉方面)からは離合困難な道を15km近く通ることになるため南側から迂回することを推奨(それでも狭い道を通らされることになるがまだ楽)。

 

摂津

太平洋戦争下ではすでに武装を解かれ、標的艦としての任についていました。

江田島北西部の海域になります。

左手前は厳島(宮島)。海軍兵学校の遠泳・カッター訓練の定番コースでもあった(※2)



訪問難易度:★

備考:江田島青少年自然の家海上自衛隊長浜射撃場が目印になる。

 

出典

下記サイトを参考にさせていただきました。

https://wiki3.jp/kureiko

龍鳳の終焉の地は誤っているため訪問の際はご注意ください。

正しい情報提供をしていただいた妖怪酒隠し氏にこの場を借りて感謝申し上げます。

 

http://kure-sensai.net/index.htm

終戦当時の写真が掲載されています。

 

場所はこちらにまとめました。(後述おまけ込み)

 

www.google.com

 

あとがき

今は何もない穏やかな海ですが、こうした海にも壮絶な歴史が眠っています。興味を持たれた方はぜひ足を運んで、当時をしのんでみてください。

生活道路の中にあるところも数多いため、言うまでもありませんがマナーを守っての訪問をお願いします。

 

また情報提供をお待ちしております。あと一緒に行ってくれる人がいると筆者が喜びます。本稿で訪ねたところでも再訪したいところが多々ありますので…。京艦同は廃道・廃隧道巡りのオタクは何故か何人かいるのにどうしてこの辺のオタクはいないのかとボヤいています…

なお瀬戸内編と題打っていますが続編の執筆予定はありません。悪しからず。

 

おまけ

呉軍港空襲とは直接関係ありませんが、訪問記として簡単に記しておきます。

 

1.長迫公園

海軍墓地として整備され、現在は呉にゆかりのある艦艇・部隊・軍人の慰霊碑が集められています。呉を巡る上では外せないスポットの一つと言えましょう。

約90基の慰霊碑が所狭しと並べられている(※1)

 

訪問難易度:★

備考:呉市内の高台の住宅街の中にある。駐車場がやや狭い。

 

2.特攻艦隊留魂碑

1945年4月5日、旗艦大和以下の第二水雷戦隊は呉を離れ沖縄への決死の出撃に向かいました。

佐世保を経由して向かう予定でしたが米軍艦隊の動向により山口県防府沖で停泊、翌6日に豊後水道を南下する針路をとりました。

その特攻艦隊の慰霊碑があるためこちらも訪問しました。文献などで見かける防府沖(三田尻沖)を望む地点になります。

回天についての記述もある(※2)

正面は最大の回天基地があったところで知られる大津島です。

大津島の回天基地跡は島の反対側なのでここからは見えない(※2)



訪問難易度:★★★

備考:江泊地区の集落を抜け、「林道小浜線」の看板が見えて砂利道になったところの先にある。

集落の道が狭いため注意。

 

3.平生回天基地

回天訓練基地は大津島がよく知られていますが、それ以外にも光・平生(以上山口県)・大神(大分県)にも基地が設置されていました。

大津島の回天記念館がよく知られていますが(執筆済みのため省略)、平生にも回天の資料館があります。前述の梨・萩は平生基地の訓練でも使用された可能性があると思われます。

平生基地の回天についての資料が展示されている阿多田交流館(館内は撮影禁止)。手前は回天一型の原寸大レプリカで、映画「出口のない海」での撮影に使用された(※2)

 

阿多田交流館から1km弱離れたところに慰霊碑がある。防波堤が設置されており当時をしのぶのはやや難しい(※2)

 

平生町歴史風俗資料館にある回天二型の胴体。回天一型を小型化したもので、光基地での教育用として使用された(※2)



訪問難易度:★

備考:平生町歴史風俗館自体は町内の古墳の出土品の展示がメインである。

*1:戦後埋め立てられたためむしろこの付近で撮ったほうがより近い可能性もある

*2:島内に慰霊碑あり。なお伊勢日向合祀のものも前述

*3:戦時下は防諜のためP基地と呼称

*4:余談ですが筆者は柳井市内のサイクルショップでレンタルして向かいました(なお店員に平郡島行きますと言われたらあんなところに何しに行くんですかと言われたのはここだけの話)。また激しいアップダウンで島内の移動だけでバッテリー消耗がかなり激しかったたため残量には十分注意しましょう