京都大学艦これ同好会 会員の雑記ブログ

京都大学艦これ同好会は、艦これを通じてオタクとの交流を深める緩いコミュニティです。普段はラーメンを食べています。

noctchill

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 当記事はバンダイナムコエンターテインメントの『アイドルマスター シャイニーカラーズ』の二次創作小説になっています。原作を知らなくても読めるように配慮したつもりなので、ぜひ読んでみてください。そして、あなたも素敵なアイドルたちをプロデュースしませんか? (文責:クリスタリン)

 

  『noctchill』

 

 黒板のあたりをぼんやりと見つめていると、ふと視界の端で何かが横切ったように感じた。窓の外を見やると、おだやかな春うららの中で蝶がひらひらと飛んでいる。今日は風もなく、飛翔には絶好の日和だろう。私もあの蝶のように自由に羽ばたけたらいいのに、と思った矢先にその考えを振り払う。私は羽ばたく翅があっても、それを使おうとしないのだ。飛びたくても、飛ばない。それは、自らの過小評価でもなく、ある種の諦観だった。どうせ、何かをやろうとしても失敗するか、成功したとしても誰の目に留まることもなく、ひっそりと消えていく。だったら、最初から期待しない方がいい。何事も、必要最小限の努力で、そこそこの結果が得られればいい。私は、そういう生き方で満足していた。

「おーい、樋口」

「……何、浅倉」

「何見てたの」

「外」

「なんかいた?」

「蝶」

「ふーん、蝶か。いいじゃん」

「何で」

「なんか、春っぽい」

「何それ」

「え、蝶と言えば春でしょ」

「他にもあるでしょ」

「うーん、たとえば?」

「……つくし」

「つくし。確かに。私もつくしになりたい」

「……一応、理由を聞いておくけど、どうして」

「え、つくしって強そうじゃん。どこにでも生えてるし」

「浅倉は、それでいいの?」

「うん。あと、めっちゃ大きいのあるよね。こないだ川の土手でぼーっとしてたら、なんか私の手より大きいの見つけた」

「ふうん」

 あんたは小学生なの、と聞きたくなったが喉まで言葉が来たところで何とか飲み込む。

「それで、どうする?」

「んー、帰ろっか」

「オーケー」

 今日は始業式と、新しいクラスでの自己紹介を兼ねたオリエンテーションをやったくらいで解散となったので、まだお昼というのにも早い時間だった。幼馴染という名の腐れ縁のおかげかどうかは知らないが、透とはまた同じクラスだった。

「ちょっと待って、浅倉」

 忘れていたことがあったので、透を呼び止める。

「何?」

「小糸に、渡すものがある」

「あー、それだったら、待とうか。何組だっけ。小糸ちゃん、この学校だよね」

「5組。……朝、一緒に登校したじゃん」

「え、あー、うん。そうだった」

 時々、透のことが心配になる。

「じゃ、行こっか」

 透が我先にとどこかへ向かおうとするので、一応行き先を聞いておく。

「……どこに?」

「え、小糸ちゃんの教室」

「昇降口で待って本人に渡せばいいから、別に、教室で渡す必要ないし。それに、1年生、怖がっちゃうかもしれないでしょ」

「うーん、そうかな。大丈夫でしょ」

 その自信はどこから来るのだろう。

「……はぁ。もういい。行こう」

「のりこめー」

 透に続いて、私も教室から出る。廊下は、私たちのように帰宅しそびれた生徒たちが何人かいたが、特に顔見知りもいなかったので、さっさと1年生の教室のあるフロアに向かうことにする。

「こういうの、やってみたかった。センパイがコウハイの教室に行って、オイオマエ、ツラカセヤーってやつ」

 ステレオタイプの不良か。

「小糸、かわいそう」

 おたおたする小糸の姿が目に浮かぶ。

「でも、浅倉には似合わない」

「ふふっ、私もそう思った」

 私たちはくだらない話に花を咲かせた。

 長い廊下の突き当たり、1階と3階を結ぶ階段のところまで行くと、透が急に立ち止まる。

「何階だっけ、1年って」

「3階」

「階段上るのかー」

「去年もそうだったでしょ」

「もう上ることもないかなって」

「図書室とか、3階じゃん。浅倉だって図書室で時間潰したりとかするよね」

「んー、まあ、そうだけどさ。なんというか、学年が変わって、それで教室が変わると、自分の教室の階がホームで、それ以外がアウェイって感じがする。なんか、そこにいちゃいけない気がするって感じ」

 気持ちはわからなくもないが。

「……まあ、いいけど。えっと、1年の教室は、こっちか」

 私たちは、1年5組の教室の扉の前に立つ。周りは帰宅をし始めた生徒でにぎわっていた。透が怖気もなく教室の中に顔だけ突っ込ませる。

「こんにちはー。あの、福丸小糸ちゃん、っていますか」

 教卓の前あたりで歓談していた女の子たちがこちらを振り返る。私たちのネクタイを見て、上級生だと思ったのだろう、わずかに表情に緊張が走るのが見えた。知らない生徒で、しかも2年生が2人も来たのだから、無理もないかもしれない。

「……ああ、いますよ! ……えーっと、福丸さーん」

 クラスメイトの呼びかけに、窓際の席で顔を上げる女の子が一人。私たちの存在に気づいたようで、パタパタとこちらに近づいてくる。

「お、お待たせ! 透ちゃんに、円香ちゃん! ど、どうしたの?」

 小糸がくりくりとした目で透の方を見つめる。なぜかはわからないが、小動物みたいにそわそわしている。

「あー、私じゃなくて、樋口のほう」

 透が私のほうに顔を向ける。

「これ、小糸にあげる」

 小糸に手渡したのは、淡い青色のヘアピンだった。

「えっ……、これ、どうしたの?」

「自分で買ったはいいんだけど、いざ普段使いしてるとどうも合わなかったから。捨てるのもどうかと思ったし。小糸がよければ、だけど」

「ううん、あ、ありがとう……! 嬉しいよ、円香ちゃん! 大事に使うね!」

 小糸の太陽のようなまぶしい笑顔でこちらもつられて微笑んでしまう。小糸が笑うだけで、周りが笑顔になるような、そんな魅力があった。

「えー、いいなー。樋口、私は?」

「浅倉のはない」

「ぶー」

 ふてくされる透をはいはいと流していると、遠くから奇ッ怪な声が聞こえてきたような気がしてきた。聞かなかったことにすると、透せんぱ~い♡ とかいう甘ったるい声がやはり疑いようもなく知覚されてしまった。

「お、雛菜。やっほー」

「透先輩、やっほ~♡ 小糸ちゃんも、やっほ~! あ、円香先輩、こんにちは~」

 この子は昔から私に対して妙に礼儀正しいところがある。慇懃無礼と言うべきかもしれないけど。今度しっかり教育してやろうかと思ったが、面倒なのでやめておく。

「雛菜ちゃん、危ないから、廊下は走っちゃダメでしょ!」

「気を付けて走ってるから大丈夫~」

「もう! そういう問題じゃなくて……」

「小糸ちゃん、こわい~」

 雛菜はその言葉に反してどこか楽しそうに、というよりかは小糸をからかってるように見える。

「……はぁ。雛菜、それくらいにしといたら。あと、ここ、邪魔」

 私たちが集っていたのは教室の扉の眼前である。帰宅しようとする生徒の邪魔になることは目に見えていた。

「そ、そうだね。私たちも帰ろっか」

「おっけー」

 私たちは1階の昇降口に向かう。

「そういえば、円香ちゃん、わざわざ1年の教室に来てくれなくても、”LIME”で連絡してくれればよかったのに」

「別に。ほんの気まぐれみたいなものだから」

 そう、透と、私の気まぐれ。

「あー、そういえば、私、今金持ちなんだった。なんか、帰り道おごってあげる」

「やは~♡ 透先輩、太っ腹~」

「そう。太いの、腹が。もう満腹って感じ」

「いや、それ意味が違うでしょ」

 透と雛菜の漫才にツッコミを入れてあげる。ツッコミ不在の漫才は終わりがないから。

「と、透ちゃん、いいの?」

「うん。昨日、親戚の人が来て、進級祝いだって」

「今日は宴会だ~~~!」

「……ほどほどにね」

 

***

 

 コンビニの入店音はなかなかどうして耳から離れない。特徴的なメロディーが繰り返し脳内再生されるのをなんとか停止して、私は商品を物色する。透におごってもらうのとは別に、自分のポケットマネー(といっても親からのお小遣いなのだが)で適当に飲み物なども見繕っておこう。小糸は総菜を、透と雛菜はお菓子を探しに行く。

「お、これなんかいいんじゃない。『激辛度3000倍!世界一辛いポテトチップス』って書いてある」

 何を基準にして3000倍なのかはわからないが、見えている地雷を踏むこともないだろうと思う。いちいち横槍を入れることでもないだろうと判断し、「まあ、いいんじゃない」と流しておくことにする。

 透が”激辛ポテチ”を買い物かごに入れるのを横目に、私は陳列棚を挟んで隣のスペースへ移る。

 雛菜が何かをじっと見つめて思案しているようだった。視線の先を見ると、『かずのこの海』と『さかなの川』の2つのチョコ菓子。

 雛菜は私に気づいたようで、『かずのこの海』と『さかなの川』の2つを手に、こちらに駆け寄ってくる。

「ね~、円香せんぱ~い。雛菜だったら、どっちが好きだと思う~?」

「私が知るわけないでしょ」

「じゃあ、雛菜クイズ~! 正解したら、円香先輩にも雛菜のしあわせ~を少しだけ分けてあげてもいいよ~~~♡」

「なにそれ」

 雑にすませてやってもよいのだけど、仕方がない。付き合ってあげることにしよう。

 雛菜の手にある『かずのこの海』と『さかなの川』は最もよく知られた菓子のうちの2つで、相対するものとして扱われることが多く、互いの菓子のファンが血で血を洗う争いを引き起こしたこともあるらしいが、真偽のほどは定かではない。

 雛菜はよくクッキーを食べているから、クッキーがベースの『かずのこの海』が好みではないかと思う。しかし、雛菜のことだから、普段の嗜好品とはまるで違うお菓子を好む可能性も充分にあるだろうし、私が裏をかくだろうと思っているかもしれない。思考のるつぼはドツボにハマる。したがって、こういうのは直感を信じるに限るのだ。

 私は黙って雛菜の右手にあるものを指さす。

「ファイナルアンサ~?」

 雛菜が圧をかけてくる。神妙な表情をした雛菜。無言の時が流れる。

 もう、なんでもいいから、早くして。

「……ファイナルアン「ざんね~ん、はずれ~~~♡」サー」

 ……はぁ、疲れた。

 私たちの三文芝居で場が冷めてきた頃、小糸と透がこちらに近づいてくるのが見えた。透の手に下がる買い物かごの中は、お菓子の山となっていた。

「そんなに食べるの?」

「うーん、まあ、4人なら大丈夫でしょ」

「私はあまり戦力にはなれないと思うけど」

「大丈夫、大丈夫。何とかなるって」

「まあ、余ったら持って帰ればいいか」

「透ちゃん、これ、お金大丈夫かな……?」

「へーきへーき。私、お金持ちだから」

「あは~~~♡」

 まず透がレジに並び、雛菜、小糸、私の順で並ぶ。店員が会計をしている間、透はごそごそと自分のカバンを漁っている。しばらくして、

「あー」

 と透の声。

「……何?」

「ふふっ、ごめん」

 まさか。

「財布ないわ」

 

***

 

 私たちは、常連の公園に行くことにした。道中、透は財布を家に置いてきたということに気づいたらしく、そういうこともあるよねと一人で納得していた。コンビニでは結局、買い物カゴの中身のほとんどを商品棚に戻すことになってしまった。透が今食べ歩きしているお菓子は、私のおごりである。

 10分ほど歩いたところで目的地に到着する。住宅地の中にあるとはいえ、お昼を過ぎた時間帯では人の気はなかった。公園に入ってすぐのところに2つの2人掛けベンチが横並びになっており、まず透が片方のベンチの向かって左端に座ると、雛菜が我先にと透の隣を陣取る。私が他方のベンチの左端に座り、小糸が最後に私の隣に腰を下ろす。春の陽気の中、私と小糸が確保した総菜を各自分配して、さっそく昼食をはじめる。

「いいね。こういうのも」

 透がつぶやく。

「う、うん。すごく、久々な感じ……」

 小糸が私たちと別の中学に行ってからは4人集まって何かをするという機会もあまりとれなかった。進学先を変えた理由は結局本人に聞かなかったが、聞く必要もないし、詮索するようなことでもないと思った。小糸が話したくなったら、その時になってはじめて耳を傾けてあげればよいと思っている。

「透先輩~~~♡ あ~~~~ん」

 隣の雛菜がうるさい。珍しく黙っていたので、何をしていたのかと思えば。隣を見ると、自分のカレーパンを透の口にねじ込もうとしていた。

「雛菜、うるさい」

「あは~~~♡ 円香先輩もやる~~~?」

 ずいぶんと楽しそうな雛菜。

「……浅倉の世話は雛菜がやっておいて」

 餌付けされた透はさながらひよこのようだ。咀嚼する透の姿を見て、少し魅力的な提案に思えたが、透にやる趣味はあまりないので、代わりに隣に座る小糸を世話してやろう。

「ほら、小糸、口開けて」

「ま、円香ちゃん……!? ちょ、ちょっと待って……」

 小糸の開いた口にフライドポテトを放り込む。口をモグモグさせる小糸は、あたかもヒナドリみたいだった。

 ……ああ、この感覚―――。この感覚……。

 癖になりそうだ。

 私が小糸に餌を与えていると、透が口を開く。

「……あー、そうだ。これ、言っといたほうがいいかな」

「透先輩、なに~~~?」

「私、アイドルやるかも」

 

***

 

 青天の霹靂。中国の古語が由来で、青空に突然響き渡る大きな雷鳴の意であったのが、現代では全く思いもよらなかった突然の出来事に対して使うらしい。私たちの今の状況は、まさしくそれと呼ぶにふさわしいと思われた。

「透先輩、アイドルやるの~~~?」

「まだ、決めてないけど。やるかもって感じ」

 雛菜の言葉に透は首肯する。雛菜も驚きはしたようだが、あまり動揺はしていないように見える。小糸は固まっていた。

「……どうして」

 私は、それくらいしか言葉をひねり出すことができなかった。とにかく、理由を聞きたかった。

「あー、うん。スカウトされた。アイドルのプロデューサーだってさ」

「……詐欺じゃないの、それ」

「最初にそれも考えたんだけど。多分違うっぽい」

 ほら、と言って透は雛菜に何か小さい紙のようなものを渡す。雛菜はまじまじとそれを見つめる。

「あは~~~♡ 透先輩、すご~~~い」

「雛菜、見せて」

 雛菜から渡された名刺を確認する。

『283プロダクション プロデューサー 〇〇〇〇』―――。

 聞いたことのない芸能事務所だ。そもそも芸能事務所かどうかすらも疑わしい。プロダクションの名を騙った詐欺グループの可能性もある。名刺に書いてある住所と電話番号も確かめておく。……ここからそんなに遠くない。最寄駅から、数駅程度。電話番号は……、足がつくと危ないかもしれないから、公衆電話からかけるべきかもしれない。ボイスチェンジャーを用意しておいたほうがよいということもあるだろう。念には念を入れる。

 名刺の写真をスマホで撮っておき、まだ固まっている小糸を正気に戻すと、名刺を渡す。小糸はかすかに震えながら、名刺を受け取ると、書いてある内容に注視する。小糸は黙ったまま、透に名刺を返した。

「どこで、これを?」

「ここの公園の近くにさ、バス停あるじゃん。そこ」

「いつ」

「昨日。お昼ぐらい。服にセロハンテープついてたから取ってあげた」

 どういうシチュエーションなの?

「浅倉。返事は、したの」

「まだ、してない」

「しないほうがいい。名刺も、捨てて」

「うーん、でも、やってみたいかも」

 どうして。アイドルなんて、透には似合わない。

「透先輩がアイドルやるんだったら~~~、雛菜もやる~~~♡」

「ぴぇっ.……!? ひ、雛菜ちゃん……!」

 どうして。なんで、そんなに、アイドルなんて。

「いいじゃん。やろうよ、アイドル」

「アイドルって、楽しそう~~~♡ 雛菜も、しあわせ~~~♡ になれるかな~~~」

「大丈夫、大丈夫。なれるって」

「やは~~~♡」

 盛り上がる二人とは対照的に、私は動揺を隠せないでいる。きっと、隣の小糸もそうだろう。

「あ、もうこんな時間か」

 透がスマホを見て、ごみを片付ける。

「透先輩、バイト?」

「うん。今日は早く学校終わるからって、シフト早めにしたんだ」

「そっか~、もっと透先輩とおしゃべりしたかったな~~~」

「ふふっ、私も。残念」

 私たち4人はそうして帰路につくことになった。私のわだかまりは溶けないまま。

 

***

 

 帰宅した私は、手洗いを済ませた後、さっそく『283プロダクション』について調べてみることにした。Gohoo検索にかけてみる。……1件目は、765プロがヒットした。2, 3, 4件目には346プロと315プロ、876プロが引っ掛かった。どれも有名な芸能事務所であるが、283プロではない。

(……やっぱり、詐欺グループなんじゃ)

 画面を下にスクロールさせると、5件目に283プロの名前があった。迷いなくタップすると、いかにも急ごしらえという感じのホームページが出てきた。

『羽ばたけ、虹色のアイドル達。』

(……まだ、未完成のページあるじゃん)

 いくつかのページが工事中になっており、閲覧できるのはトップページと企業概要、所属アイドルのプロフィールと求人情報くらいだった。

 所属アイドルは……、イルミネーションスターズとアンティーカ、放課後クライマックスガールズにアルストロメリア、それとストレイライトの5ユニットか。どのユニットも、かすかにだが聞いたことはあるような気がするが、あまり印象には残っていない。

『オーディションのおしらせ』というページが見つかったので、タップする。

 遷移したページには、『君もヒカリ輝くアイドルに!』という歯の浮くようなセリフが大きく表示され、応募要項などが詳しく記されていた。それは後で一通りチェックすることにして、名刺に本人の連絡先と、283プロの電話番号が記載されていたので、まずは283プロのほうに電話をかけてみることにする。

(まあ、いいか)

 詐欺グループならもっとまともなホームページを作るだろうし、こんな未完成のものでは、逆に”ホンモノ”という感じがする。少し警戒心を解いてもいいかもしれない。

(人手不足なのか、予算不足なのか)

 半ば呆れつつも、念のため非通知設定にしておいて、自分のスマホでコールする。……1コール、2コール、3コール……、出た。

「はい~、こちら、芸能事務所、283プロダクションの七草です~」

 とても間延びした女性の声。緊張感がなくなる。

「……もしもし、あの、樋口という者です。ホームページを見たのですが。そちらに○○〇〇という方は在籍していますか」

「はい~、〇〇は弊社の者です~。お電話代わりましょうか」

「……いえ。先日、名刺をいただいたので。本当に283プロダクションの方なのかなと思って。では、失礼します」

 相手が何か返事をする前に電話を切ってしまう。無礼な行いだが、今日は敵情視察の予定だったので、深い話をするつもりはなかった。ホームページを再度確認すると、資料請求の項目があったので、しばし逡巡した後、申し込んでみることにした。個人情報を入れるのには抵抗感を覚えたが、やむを得ない。

 

***

 

 数日後、何の気なしに自宅ポストの中を見てみると、大きな白封筒が鎮座していた。

素早く回収し、部屋の中に持ち込んでおく。

『樋口円香様』

 送り主は283プロダクション。間違いないだろう。さっそく開封し、中身をあらためる。

 会社の概要などが書かれた冊子や、近日行なわれるオーディションの要項などが書かれた紙などが入っていたが、目を奪われたのが、在籍するアイドル紹介と、従業員一覧である。

 まず、アイドルからチェックする。だいたいはホームページに記載された内容と同じものだが、個々人のミニインタビューなどホームページにはない情報もあり、差異化が図られていた。

 印象に残ったのは、『放課後クライマックスガールズ』の小宮果穂と、同じグループに所属する園田智代子。小宮果穂は、12歳の小学生だが、163cmという体躯に目を引かれる。インタビューの受け答えも、小学生らしさがある中きちんとしており、しっかりとした印象を受ける。園田智代子は、”クラスに一人はいるごく普通の女の子”という紹介がされているが、こんな子がクラスに一人もいてたまるかと思う。ミニインタビューの文面からして、皆から愛されるタイプなのだろうなという気がする。

(……さて、悪の本丸)

 社員一覧を見ると、283プロには社長が一人、正社員が一人しかいないことが判明。なぜか、”アルバイト”の人まで載っていた。

(人手不足ってレベルじゃないでしょ……)

 バイトの人は、七草はづきという人らしい。名字からすると、先日、電話応対してくれた女性だろう。正社員は、〇〇〇〇……この人か。この男とコンタクトを取る必要があるかもしれない。悪人だった場合、透が手篭めにされてしまう。電話やメールでは真意がわからない可能性もある。リスクは高いが、実際に言葉を交えて人となりを観察すべきだろう。綿密に計画を練っておくことにする。

 もし、善人だったら。ふと、その場合が脳裏をよぎる。もし、善い人で、透がアイドルになりたいのだったら、私に止める権利なんてないんじゃないか。いや、そういう”最悪”のケースはその時になって考えればいい。私は思考をクリアしようとする。でも、その疑念が、私をつかんで離さなかった。

(……どうしたらいいの。いつだって私たちは、4人でいたい。まだ、4人で―――)

 瞬間、スマホが振動する。着信。小糸からだ。

「……小糸」

「も、もしもし、円香ちゃん?」

「珍しいね。小糸から電話なんて」

「ご、ごめんね。突然」

「別に。それで、どうしたの」

「う、うん。あの、透ちゃんのことなんだけど」

 やはりそうか。

「……うん」

「ま、円香ちゃんは、どうするとかって、あるのかなって……」

「……どうしたらいいと思う?」

「ぴぇっ……え、えっと……」

「嘘、冗談。質問を質問で返すようで悪いけど、小糸は、どうしたい?」

「わ、わたしは……、透ちゃんと、円香ちゃんと、雛菜ちゃん。4人一緒にいたいなって……。せっかく、一緒にまた遊べるようになったのに……」

「……そう。わかった」

 私には言えないことを、言ってくれた。小糸は、強い子だ。私よりも、ずっと。

「それで、浅倉のことなんだけど。先方に会ってみようかと思ってる」

「え、えっと……〇〇さんっていう人……? 283プロの……」

「うん。ちょっと私でも調べてみたんだけど。実際に会ってみないとわからないことがあるから」

「そ、そっか……。で、でも、大丈夫かな……」

「何かあったら、連絡するから。だから、安心して」

「……う、うん」

 薄々わかっていた。あの透がアイドルになりたいと言っているのだ。だったら、私たちには覆しようもないということは。透は、いつもマイペースだが、私たちの誰よりも前を走っていた。私たち―――、いや、私は、ずっと透の後ろを追いかけていた。追いついたと思っても、いつの間にか遠くに行ってしまっている。いつだって、それの繰り返し。

 私も、透のように、羽ばたきたい。でも、羽ばたくのが怖い。誰かに期待されて、誰かに失望されて、誰かに称賛されて、誰かに批難されるのが、怖かった。必死に生きるのが、嫌だった。身の程を知るのが、恐ろしかった。

「……じゃあ、小糸。明日、またね」

「う、うん……!ばいばい、円香ちゃん……!」

 通話が切れる。同時に、私の中の何かが切れたような、そんな気がした。

 

***

 

 私は放課後になるとすぐに283プロダクションのところへ向かった。電車で10数分ほど揺られると、283プロ最寄りの駅に着く。そこから歩いて10分ほどだろうか、目的のエリアにたどり着くことができた。283プロは小さな3階建てのビルの2, 3階を間借りしているらしく、1階にはペットショップなどが入っていた。283プロの入り口がちょうど見えるところで私は張り込みをすることにした。

(……刑事ドラマの見過ぎ)

 親には、友達とご飯に行くから遅くなると言ってある。近くのコンビニで買っておいたパンとカフェオレをいただきながら、ただじっと待つ。

 あたりが暗くなったころ、2階の電気が消えた。私は警戒を強める。社長の写真はホームページに掲載されていたし、私の知らない顔の男が出てくれば、○○○○だとほぼ断定できるはずだった。

 向こうにはこちらの息遣いなど聞こえるはずもないのに、私はじっと息をひそめる。やがて、階段を下りてくる姿が見えた。私はまじまじとその人物を見る。身長は……高い。180cmはゆうに超えている。顔は、ここからでは暗くてよくわからない。もう少し近づく必要があるかもしれない。私はあくまでも自然な体で男に近づく。……顔を見た。あの写真の顔ではない。とすれば、あの男が。ほぼ決まったようなものだが、完全に断定するには、まだ材料が足りていない。もしかすると、私が把握できていない従業員の可能性もある。私は、意を決して男に話しかけることにした。

「―――あの、すみません。283プロダクションの方でしょうか?」

 すでに分かり切った質問をする。

「ええ、そうです。……失礼ですがあなたは……?」

 

***

 

 結論から言うと、男が当該の〇〇〇〇で、283プロのプロデューサーだった。

 私は283プロ事務所を避け、近くにある喫茶店で話をするように場を持ち込むことに成功。そこで、男から名刺をもらうと、先日透がもらった名刺と完全に一致していた。男の話と私の認識―――アイドルの活動実績など―――はほぼ同じだったし、詐欺グループや、悪徳芸能事務所ではなさそうだと判断。まだいくつか不安要素はあったし、もしも危ないことがあったら、否が応でも透を引き戻すつもりだったが。

「今、ここでスカウトさせてください……!」

「……は……?」

 冗談が上手い男だと思った。ミスター・ジョーカー。

 その次に彼から紡がれた言葉で、私の心が揺らぐ。

 ぜひ、浅倉さんと一緒に! どうでしょうか……!

 まさか、私が、アイドル。しかし、これは好機だと思った。私がアイドルになれば、この男を監視することができる。それに、透とも、いられる。今、ここで、このチャンスをつかみ取らなければ、明日には反故になる話かもしれない。だったら。

「……わかりました。そういうことであれば」

 そうして、彼に名前を聞かれたので、ただ一言を添えて。

「……樋口円香です。よろしくお願いします」

 

***

 

「よーし、みんな集まったな!」

 時は過ぎて、私は再び283プロダクションにいた。透も、小糸も、雛菜も、みんなここにいる。

「ふふっ、結局、また4人いっしょだ」

「あは~~~♡」

「が、頑張らなくちゃ……!」

「……まあ、ほどほどに」

 各々好き勝手に言う。

「まずは、君たち4人でユニットを組んでもらう」

「……突然ですね」

「透と、円香が283プロの一員になってくれた時から、構想はあったんだ。幼馴染のユニットが、どういうふうに羽ばたいてくれるのか、興味がわいてきてね」

「私たちが、どういうふうに羽ばたけるのかは、あなたの手腕次第じゃないですか? ミスター・プロデューサー?」

「ははっ、いや、それもひとつの面としてはあるんだが……。でも、やっぱり、君たちの頑張りがモノを言うと思う。俺も、全力でフォローするからな! ……他にも、何か聞きたいことはあるかな」

「プロデューサーは、雛菜のこと、しあわせ~にしてくれますか?」

「雛菜、オーディションの時にも言ったが、アイドルは楽しいことばかりじゃなくて、大変なこともたくさんある。だから、雛菜のアイドルとしてのしあわせは、雛菜自身がつかみ取ってほしいと思うんだ。俺も、頑張ってサポートするよ」

「プ、プロデューサーさん……、わ、わたし大丈夫かな……」

「小糸は、アイドル活動の中で、どんなアイドルになりたいか、それを決めることが宿題だ。難しいこと、わからないことがあったら、なんでも俺に聞いてくれ」

「私は……うーん、特になし」

「そ、そうか……。何かあったら、いつでも言ってくれ」

 

***

 

 そうだ、最後に一番大事なことを発表したいと思うんだ。

 え~、何~~~?

 君たちの、これから結成するユニットの名前だ!

 あは~~~♡ なになに~~~?

 じゃあ、発表するぞ。新しく結成するユニットは―――。

 

 


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