京都大学艦これ同好会 会員の雑記ブログ

京都大学艦これ同好会は、艦これを通じてオタクとの交流を深める緩いコミュニティです。普段はラーメンを食べています。

化け物は夜を笑う

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「お疲れ~!かんぱ~い!」

「お、お疲れ様で~す」

 カン、とグラスの当たる重い音がする。成人して5か月が経つが、ピッチャーから注がれたビールに既にいい思い出はない。打ち上げのような宴会と無縁の高校生活を送り、そして1年の浪人を経た自分にとっては、この空気だけでも疲れが溜まるようにさえ思う。そもそも音頭を取る先輩たちは何に疲れて「お疲れ」などと言っているのだろうか。確かに僕たち1回生は前夜祭で焼きそばを提供していたし、僕も1時間程シフトで鉄板を睨みつけていた。だが、2回生以上は何もしていないだろう。NFを理由に宴会をしたいだけなのだ。無論咎めるつもりはないが、しかし……。無駄なことをモヤモヤと考えてしまう。苦くてぬるいビールはこういう無価値な思考にはよく似合った。

「〇〇くん? どこ見てるの~?」

 ふいに視界に動くものを見つけて意識を現実に戻す。見れば、正面に座った先輩がこちらに手を振っていた。こちらが視線を向けたことに気付くと、彼女は手を引っ込め、にやっと笑った。

「あ、すみません。ぼーっとしてました」

「疲れてる? 結構エンジョイしてた感じ?」

「まあ、そうっすかね」

 前に座っているのは「そうりゅう先輩」と呼ばれている、3回生の先輩だ。僕がこのサークルに入ったときからずっと髪を青く染めていて、だから「蒼」なのだろうと思っているが、「りゅう」はどこから来たのだろうか?

「いいねー1回生。若くて羨ましいよ」

「先輩だって十分若いじゃないですか」

「年下は羨ましく見えるの! だっていくつ下? こわ~」

「僕浪人してるんで1つしか違わないですよ」

「あはは、私留年してるから2つ違いだよ」

 なるほど、「留」か。

「へえ、意外でした。先輩真面目そうですし」

「うそ、そう見える? 君もしかして、女の見る目ないんじゃない?」

「はは、かもっすね」

 

 余計なお世話だ、とは言えなかった。それに、その指摘は当たらずとも遠からずだ、とも思った。

 こんなデリカシーのない先輩に、好意を持ってしまっているのだから。

 切っ掛けなんてあってないようなものだ。サークルでの活動を褒めてくれること、真剣な表情が普段と違って凛々しいこと、キャンパスですれ違った時に手を振ってくれること、その指が綺麗なこと。そんな細かなことの積み重ねでも、抑圧された高校生活を送ってきた僕にとっては十分すぎる刺激だった。きっと彼女にとっては声を掛けるのも良いことを褒めるのも日常の一部で、そこに何の感情もないのだろう。だからこそ、僕は先輩のことが好きだった。好きにならざるを得なかった。

 

 そうりゅう先輩は、いつも結んでいる髪を今日はおろしていた。首元にかかる蒼い髪が珍しくて、目を合わせられずにいた。そうりゅう先輩は僕の目を見ているのだろうか? 少なくともこちらを見て話していることだけが確かだ。

「なにその反応、もしかして前の彼女に何かされたとか?」

 デリカシーのない質問が続く。

「いやいや、彼女とかいたことないっすよ」

「ええ~意外! そうなんだ!」

「先輩こそ男見る……なんでもないです」

 まずい。

「ちょっと、今何言おうとしたの?」

「なんでもないですって」

 こんな微量の酒で口が滑るとは思わなかった。誤魔化すようにぬるいビールを飲み干す。

「もう……!」

 けれど、先輩のちょっと怒った顔が見られたのはよかったかもしれない。

 この時は、そんな呑気なことを考えていた。

 

「……ってことはさ」

 グラスを置いて改めて向き直った先輩に、先ほどまでの表情はなかった。そこにあったのは、にやりとした、優しさではない何かを滲ませたような、そんな表情。先輩は僕の目を見て、そして囁くようにこう言った。

 

「もしかして君って、童貞?」

 

 突然のことに心臓が飛び上がった。一瞬ギュッと縮まったそれは次の瞬間からバクバクと強く鼓動を始める。何だ?僕は何を聞かれているんだ?想像よりもアルコールに浸されていた脳は考えても結果を出力することはなく、ただ顔を赤く染めるのみである。さっきまで騒がしかった部屋の音も何も聞こえず、鼓動の音を聞きながら先輩が次に発する言葉を待つことしか出来ない。そうりゅう先輩はずっと僕の瞳を見つめているように見える。その視界も20度まで狭まって、彼女以外何も捉えていない。口は何かを発しようとするも舌が痙攣したようで一切追い付いてこない。呼吸が出来ない感覚がする。

 

「あははは! そんなにキョドっちゃって、可愛いの!」

 先輩の綺麗な指が目の前に伸び、そして、額をぐっと押した。

 それは、掛けられた魔法を解く儀式だったようだ。さっきまで静かだった空間は喧騒を取り戻した。雑多なものが視界に入って、一瞬だけ先輩の姿を見失う程だった。ただ耳に残る熱い温度だけが、3秒前のことを伝えている。

 僕はようやく結びついた脳と舌を使って、初めての言語のようにたどたどしく言葉を紡いだ。

「い、いきなりで、びっくりしたっていうか」

 先輩はそれを大変気に入ったようで、前のめりになって笑っていた。耳の温度がさらに上昇するのを感じる。

「ふーん、そっか、童貞か」

 先輩は楽しそうにゆらゆらと笑う。その顔に目が釘付けになって、先輩の黒目が綺麗だと気付いた。

「な、なんですか、悪いんですか」

「別に~」

 そして先輩は、もう一歩前のめりになって、テーブル越しに僕に近づいて。

 

「ねえ、この後さ」

 

「ちょっとそうりゅう~?」

 間近に迫った先輩の蒼い髪の上に、手のひらが乗っている。見上げれば、そうりゅう先輩の同期、3回生の先輩が立っていた。ショートカットの似合う顔はアルコールで少し赤らみ、しかしもう片手には何か飲み物が握られている。そうりゅう先輩は彼女の方を振り向くと、なんだかとぼけるような表情をした。

「そんな、1回生からかって遊んでただけじゃ~ん」

「そういうのをやめなって言ってんの。それよりさ、今から加賀ちゃんとこ行くんだけど、そうりゅうも行こうよ」

「え、今日加賀ちゃん来てるの!?珍しいじゃん!いくいく!」

 そうりゅう先輩は目線をそちらに向けたまま、あわただしく席を立って、それから、ふらふらとした足取りで、どこか遠くへ行ってしまった。

 

 その後のことはよく覚えていない。誰かと話した気もするし、誰とも話さなかった気もする。帰りに荷物を取りに来たそうりゅう先輩が「ごめんね?」と言って舌を出し両手を合わせたような気がするが、その意味もよくわからなかった。あの言葉の続きは、ついぞ聞けなかった。

 安くない会費を払って薄くなった財布とともに店を出れば、11月の深夜の空気はやけに冷たくて、未だ熱を残す耳を急激に冷やしていった。アルコールに潰れた脳はただあの瞬間の先輩の顔だけを思い出していた。なんだか感傷的になって、三条大橋から川沿いに降りて、鴨川を北上する。これが初恋なら、本当に最悪だ。不思議と口元が緩む。どうやら京都の夜は化け物を迎え入れることに慣れているらしい。表情筋の壊れ切った20歳をあしらうように、少しだけ強い風が吹いていた。

 

あとがき

 えりある(@arielkukls)です。NFの打ち上げってこんな風だよねっていう文章を書きました。異論は受け付けません。異論は受け付けません!よろしくお願いします。


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